「日本は女が住む場所じゃない」と思ったことも…イギリス在住作家が語る“おおらかさの違い”
SNSでの攻撃が目立つ中で「他者の靴を履く」こと
足元からつくる「サードプレイス」
ーー「他者の靴を履く」という実践の場が、日本には不足しているように感じます。この現状をどのように見ていますか?
日本には「サードプレイス」が少ないですよね。サードプレイスとは、家庭でも職場でもない「第三の居場所」のことです。民主主義が発達している国には、こうしたサードプレイスがたくさんあると言われています。イギリスではパブや、コミュニティセンターでのボランティア活動がその役割を果たしています。そこでさまざまな人と交流し、ふだんは出会わないような階層の人たちとも触れ合うことで「他者の靴を履く」経験を育むことができるのです。
ーーサードプレイスでは、どのようなことが行われるのでしょうか?
例えば、本書でも紹介しましたが、スペインのある書店では、女性たちが集まってウィキペディアに女性の情報を入力する活動をしているそうです。ウィキペディアには圧倒的に男性の情報が多く、社会的、学術的に貢献した女性や芸術家たちの情報が少ない現状があります。こうした小さな活動は、場所さえあればすぐにでも始められます。日本でも個人経営の書店が増えているので、そうした場所をハブにして、第三の場所を持つこともできるんじゃないでしょうか。
ーーたしかに、サードプレイスがあるだけで心理的安全性が得られたり、居場所を感じられたりしますよね。大人になってからも特定の場所に行けば仲間たちがいるという環境は心強いと感じました。
特に日本のお母さんたちは、子育ての悩みを一人で抱え込んでいる方も多いと聞きます。そうした女性たちにとってのサードプレイスとして、小規模な「共同保育の場」を地域に作ったりするのもいいですよね。
たとえば、数人のお母さんたちが集まって、交代で子どもを預け合う。そうすれば、たまにはゆっくり家で休んだり、自分の時間を持ったりすることができます。子どもも親以外の大人と触れ合うことで視野が広がります。かつてイギリスでも、教会のホールなんかを使っている共同保育の場がたくさんあり、1990年代のブレア政権の時代にそうした場のお母さんたちに保育士の資格を取っていただく支援を行い、公的な保育園に変えていった歴史があります。
誰かが作ってくれるのを待つのではなく、自分たちで小さなグループから始めてみたら、それが何かに繋がったりすると思います。そうした足元からのつながりが生きづらさの解消につながっていくのではないでしょうか。
<取材・文/山﨑穂花 撮影/藤木裕之>山﨑穂花
レズビアン当事者の視点からライターとしてジェンダーやLGBTQ+に関する発信をする傍ら、レズビアンGOGOダンサーとして活動。自身の連載には、レズビアン関連書籍を紹介するnewTOKYOの「私とアナタのための、エンパワ本」、過去の連載にはタイムアウト東京「SEX:私の場合」、manmam「二丁目の性態図鑑」、IRIS「トランスジェンダーとして生きてきた軌跡」がある。また、レズビアンをはじめとしたセクマイ女性に向けた共感型SNS「PIAMY」の広報に携わり、レズビアンコミュニティーに向けた活動を行っている。
Instagram :@honoka_yamasaki
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