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『ばけばけ』が描く“親ガチャ”地獄に震える。遊女でも名家でも、出自で人生が狂う「時代の残酷」

「実家が太い=良いこと」なのか?

“貧困の連鎖”は今の時代でも決して珍しくなく、なみに関わる親ガチャは現在にも通ずるものがある。ただ、働き者であり、侮蔑的な扱いを受ける覚悟があるにもかかわらず、“ラシャメン”にさえなれなかったことには、この時代の親ガチャの複雑さを感じずにはいられない。  一方、三之丞が受けている“親ガチャ”は変則的だ。裕福な暮らしをしていたが、それゆえに苦労知らずで世間を知らない。家柄のおかげで周囲から優しく接してもらうことが当たり前だったように思う。だからこそ、「社長となるにはふさわしい格を備えております」と言えてしまうのだろう。
 どこか自分にも周囲にも甘く、世間を軽んじている印象さえ受けてしまう。それゆえにタエに反論できず、未だに“社長就活”という採用率が限りなく0%に近い就活から脱せていない。ある意味、三之丞も親ガチャの被害者と言える。  なみも実家が裕福であれば、そもそも遊女になることはなかったかもしれない。ただ、三之丞を見ていると、決して「実家が太い=良いこと」という“正義”が、必ずしも揺るがないものではないと感じる。  いま現在、成功者に対する「実家が太いだけ」という恨み節をよく見聞きする。もちろん、「実家が太い」ということは人生をより良く生きる要因ではあることは間違いない。しかし、決してそれを約束してくれるわけでもなく、時代の変化によっては大きな足かせにもなり得るのでは、と感じた。 <文/望月悠木>
望月悠木
フリーライター。社会問題やエンタメ、グルメなど幅広い記事の執筆を手がける。今、知るべき情報を多くの人に届けるため、日々活動を続けている。X(旧Twitter):@mochizukiyuuki
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