舞台は二階建てのセットが組まれていて、二階には角度がついていました。ラストは蝶々さんが二階の舞台最奥で自害するシーンです。
この時一階にいた息子役の私は、船の中に隠されていた血のりを手にべったりつけてから、舞台端の階段を上がる段取りでした。
そして、騒ぎを聞きつけ一階の舞台に出てきたピンカートン大佐(蝶々さんを現地妻にしたアメリカ人大佐)と“本妻”に向かって、正面切って手のひらをゆっくり開いて見せつける。つまり、高くなった舞台のど真ん中で、客席に向かって手を広げるわけです。
なんと、そこで幕が下りてくる。いわゆる「幕切れ」を担当していたのでした。
……どうやってこの手順を覚えて、きっちりやりこなしていたのか、今となってはまったくわかりません。ちゃんと「ママが死んじゃったよ、どうするの?」と思いながら手のひらを見せていました。お芝居していたんですよね~。
初舞台の6ちゃいでこんなことしてたの? 何? 天才じゃない? 他人事すぎますが、もう30年前の話ですからね。
いくつかの記憶は未だに鮮明です。舞台からまっすぐ客席を見た時、ライトがいっぱいこっちを向いていて、三階までの客席が見えたことも覚えています。映画『国宝』見た方は、舞台から見た客席とライトのカット、わかりますか? まさにあんな感じです。
一連の段取りは舞台上でやるので、当然母やスタッフさんもついていなかったわけで……本当にどうやっていたのかしらん。
森光子さんの楽屋に遊びに行く!? 後々謝って回る、天衣無縫子役の誕生

芸術座に公演期間中飾られていたパネルの写真
そして、同年9月には芸術座『放浪記』に出演。今では考えられない、9月から12月までのロングラン公演で、子役が4人、クアトロキャストで出演しておりました。
姉妹で合格し、同じ役をやっていたので、母はなんと4か月間、芸術座に詰めっぱなし! 苦労をかけました。
しかし、小学1年生なんて人間というより、赤ちゃんポメラニアンみたいなもんです。よくもまぁ3時間の舞台ですとか、外国語のオペラなんかを耐えてじっとしていられたもんだなぁと思います。
ひとえに姉への負けん気、母のサポートのおかげです。父は? と思いますが、先日実家に帰った際に、当時の勤務先・ラジオたんぱ(現ラジオNikkei)から日比谷に移動して、出来る限り舞台を見てくれていたことが判明。初めて知りました。
何より、演者さん、スタッフの皆さんの優しさのおかげだったと思います。