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キラキラネームは明治期からあった。今とDQN度はどう違う?

 ネットニュースの人気記事といえば、B級タレントの炎上芸やツイッター経由のバイトテロなど色々ですが、中でも根強く支持されているのがキラキラネーム問題。突飛な当て字にスイーツな思いがこめられすぎて、初見では読めない名前のオンパレード。

 たとえば<心愛>と書いて<ここあ>は、まだ字と読みがかろうじてつながっていて分かります。しかし<紗冬>と書いて<しゅがー>はどうでしょう。いったん“さとう”と読んでから英語に変換しなければたどり着かない難儀な名前です。

キラキラネーム いまや幼稚園の先生も名簿にふりがなを振らなければ出欠も取れない始末。そんな現状に、「昔はちゃんとした名前だった」とか「絶対にいじめられるわ」とか「日本オワタ」とのコメントがネット上にあふれかえるわけです。

森鴎外もDQNだったのか?



 そんなステレオタイプな見方に疑問を投げかけるのが『キラキラネームの大研究』(新潮新書)。著者の伊東ひとみは、「そもそも日本語そのものが無理読みという宿命を背負っている」とし、古事記から本居宣長を経由しつつ、明治維新にいたるまでの日本語の歴史をたどっていきます。

 そこで見えてきたのが、日本の「声の文化」に中国からやってきた漢字という「文字の文化」が反発しあいながら融合してきた変遷。音を大切にする言霊信仰が、よそからの借り物である文字になかば無理やりはめ込まれている。それは漢字表記への違和感を記した枕草子の時代から綿々と続いてきているものなのかもしれません。

 それゆえ、時代ごとに難解なネーミングが現われる。論より証拠ということで、本書で紹介されている戦前のキラキラネームをいくつか見てみましょう。

紅玉子(るびこ)
元素(はじめ)
真善美(まさみ)
六花(ゆき)
などなど。。。

 さらにすごいのは森鴎外のご子息。長男<於菟>(おと)、長女<茉莉>(まり)、次女<杏奴>(あんぬ)、次男<不律>(ふりつ)、三男<>(るい)。そう、みんな外国へ行っても通じるような読みなのですね。“これだったら押尾大先生のご長男「りあむ」と同じじゃないか”、“なんだよ、鴎外もDQNかよ”。そんな声も聞こえてきそうです。

漢文の知識あっての珍名と、音だけのキラキラネーム



キラキラネームの大研究 しかしそう早合点してはいけません。ここからが本書の白眉。著者は現代のキラキラネームが日本語の歴史に連なる現象であることを認めつつ、過去との間に横たわる見過ごせない断絶を指摘します。

<近代までは「漢和辞典」的な規範が自明のこととして心得られ、漢字使用はその規範の引力圏内で行われていた。ところが現代では、そうした認識が薄れ、その引力からほとんど自由なところで漢字が運用されているのだ。>
(第六章 明治期のエリートはなぜ珍名を好んだのか)

 漢文の素養を持つエリートが使っていた明治期の漢字と、そこから時代が進み階級意識が薄れていくなかで読み書きの正解だけが大事になってしまった現代の漢字では、全く質が変わってしまったのですね。

 先ほどの於菟という命名も、「中国で儒教の経書の一つとされる『春秋』の代表的な注釈書『春秋左氏伝』の記述を踏まえている。」といいます。サウンドと親の勝手な思いが優先されている平成のキラキラネームとは正反対なのではないでしょうか。

<漢字の字形、そこに込められた字源と字義―――そうした古代中国に発した文字が持っている力をも取り込んで、私達の祖先は漢字を自分たちの文字に昇華させたのだ。それなのに、「漢和辞典」的な規範の引力をゼロにしたら、つまり「中国語の文字」だった漢字本来の規範を無視したら、「日本語の文字」としての漢字も、重力を失って宇宙空間に放り出されてしまう。>
(第七章 ついに「断層」が見えてきた)

 “夢”や“絆”といった言葉に不感症になってしまった時代に、歴史の過去をないがしろにしたキラキラネームが咲き乱れる。著者の抱く危機感が、言葉そのものへの不安の先に国力の低下を見越しているであろうことは言うまでもありません。

<TEXT/比嘉静六>

キラキラネームの大研究

苺苺苺と書いて「まりなる」、愛夜姫で「あげは」、心で「ぴゅあ」。珍奇な難読名、いわゆる「キラキラネーム」の暴走が日本を席巻しつつある。バカ親の所業と一言で片づけてはいけない。ルーツを辿っていくと、見えてきたのは日本語の本質だった。それは漢字を取り入れた瞬間に背負った宿命の落とし穴、本居宣長も頭を悩ませていた問題だったのだ。豊富な実例で思い込みの“常識”を覆す、驚きと発見に満ちた日本語論。




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