羽生結弦、痛みとの闘いを初告白。演技中に「血がどんどん出てきて…」
医師からは「脳震盪(のうしんとう)ではないから滑るのは可能ではある。でも勧めないよ」と言われたものの、「グランプリファイナルに出たい!」という一心で、相手の選手へ謝りに行き、氷上に戻った羽生選手。
6分間練習でジャンプのコンディションを冷静に確かめて、とっさの判断で難易度を落として試合に臨んだそうです。
「演技が終わったあと、会場のマッサージルームで、アメリカのドクターが縫合用具を準備してくれていました。麻酔をかけて顎を7針縫ってもらって、頭にもちょっと傷があったので、そっちは麻酔なしでホチキスで3針。ホチキスでガンッて! ものすごく痛かったです(後略)」
結果、総合2位でファイナルへの望みをつなぎ、次のNHK杯にもギリギリの状況で出場。ファイナルに進出し、見事優勝を果たしたのです。
その2週間後に出場した全日本選手権でも優勝しますが、この時すでに「尿膜管遺残症」による膿が破裂して吹き出し、出血に耐えながらの試合だったといいます。
同書ではこの痛みとの闘いについても初めて明らかにされていますが、読みながら思わず怖気立つような壮絶さです。
世界最高得点を次々と更新し、完全無欠の「絶対王者」といったイメージのある羽生選手ですが、その陰ではけがや病気に苦しみ、自分の弱さと向き合いながら葛藤し、ライバルたちへの憧れや悔しさを隠さない等身大の青年であることが、自叙伝から見えてくるのです。
<TEXT/女子SPA!編集部 PHOTO/Keiko Asakura >
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尿膜管遺残症との壮絶な闘い
『蒼い炎II-飛翔編-』 前著刊行から4年。仙台からトロントへ練習拠点を移した羽生結弦。ソチ五輪金メダリストとなり、世界最高得点を更新し続ける“王者”の姿と、その裏で怪我や病気と闘い、苦難を糧に飛躍する“一人の青年”の姿。2012年から2016年までの激動の4年間を、インタビューと豊富な写真で描く自叙伝・第二章。2004年から現在までのカラー写真110点を掲載! |