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紅白司会2回もやった上沼恵美子、“上から目線 ”女王の意外と知らない大御所ぶり

コンビ解散後、関西にこだわったワケ

 その後、上沼は結婚を機にコンビを解散し、芸能界から引退してしまいました。ですが、1979年にNHKの朝ドラ『鮎のうた』に出演したことをきっかけに、芸能界に復帰。それ以降は、持ち前のトーク力を生かしてバラエティ番組で司会を務めています。  しかし、夫が在阪テレビ局の社員だったため、上沼は大阪を離れないことに決めていました。芸能活動の範囲も基本的には関西に限定されていたのです。
おしゃべりクッキング

1995年から続く『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』。2011年時点でもう放送4000回!

 ただ、今も続いている『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』をはじめ、在阪テレビ局が制作する全国ネットの番組もいくつか存在しています。それらを通して、関西以外の地域の人にも上沼の存在は知れ渡っていきました。  1994年と1995年には2年連続で『NHK紅白歌合戦』の紅組司会を務めました。このときの白組の司会は古舘伊知郎さん。東西を代表する「おしゃべりタレント」同士の夢の共演が話題になりました。

今でも関西オバちゃんの人気は絶大

『M-1グランプリ』では、2007~2009年、2016年、2017年に審査員を務めています。これは恐らく、大会委員長である島田紳助からの強い要請によるものでしょう。 『M-1』における上沼の審査は、「一般の中年女性の感覚」に最も近いような気がします。発想が飛躍しすぎているネタや、頭を強く叩くようなネタには評価が厳しいのです。テレビの世界で長年生き残っている彼女は、漫才師たちがテレビの向こう側にいる視聴者にどういうふうに映っているのか、ということも意識して審査を行っているのでしょう。  上沼は好き嫌いが激しく、共演NGのタレントも無数に存在すると言われています。ただ、そんな彼女の歯に衣着せぬしゃべりが、関西の中高年女性の間では圧倒的な支持を受けているというのも事実です。  どんなときにも本音を貫くことで、彼女は視聴者からの信頼を得てきました。上沼がマヂカルラブリーに投げかけた言葉は、次世代の若手芸人に対する彼女なりの手荒い叱咤激励だったのではないかと思います。 <TEXT/ラリー遠田> 【ラリー遠田】 テレビ番組制作会社勤務を経て作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行っている。主な著書に『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)などがある
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