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「anone」はドラマ脚本家・坂元裕二の集大成。あのセリフが意味するものとは

忘れっぽい郵便屋さんは何を届けるか

 7話で、陽人から「大人になったら何になりたい?」と聞かれたハリカが「郵便屋さんかな」と答えるシーンがある。一見、唐突に聞こえる回答だが、私は思わずニヤリとしてしまった。坂元作品では、「手紙」がいつも重要なアイテムになり、何かを届ける/届けようとする行為(つまり「郵便」だ)が、よく象徴的に描かれるからだ。  思想家の東浩紀は、郵便配達における誤配(配達の遅延や失敗)に喩えて、予期しないコミュニケーションの可能性を「郵便的」と表したが、これってまさに、坂元裕二が「手紙」や「郵便」に象徴して描こうとしていることそのものではないだろうか。  最終回では、彦星からの手紙が鑑別所に届くたびに、郵便配達のバイクがいちいち映し出される。「僕は、この手紙をどこに出せばいいのかわかりません」「それではまず、この手紙の送り先が無事見つかることを祈っていてください」と書かれた彦星からの手紙は、「残念ですが、届くことを祈る前に手紙が届いてしまいました」というハリカのユーモラスな返信とともに、手紙というものが、送り手と受け取り手の間に、必ずタイムラグ(到着の遅延やズレ)をもたらすメディアであることを表す。しかし、そのズレが、2人のやりとりをより豊かなものにしているとも言えるだろう。  坂元作品の中で、手紙(コミュニケーション)はしばしば投函されなかったり、遅れて届いたり、時を隔てて読み返されたりと、意図的に「誤配」される。だが、こうしたズレや失敗や回り道や誤解やすれ違いが、予期せぬコミュニケーションをもたらす。何かを届ける/届けようとする行為そのものが、言葉にならない豊かな思いを伝える。  たとえば最終回で、服役中の亜乃音に面会しにきた玲は、「お母さん……」と呼びかけるのが精一杯で、「忘れちゃった、何話すのか」と言葉をつむぎ出すことができない。しかし、クリーニングのタグを“外し忘れ”ていることを亜乃音に指摘され、その失敗にようやく2人は笑顔を取り戻す。忘れ物というコミュニケーションの誤配が、止まっていた2人の関係を解きほぐし、ちょっとだけ前に進めたのだ。  ハリカは「大きくなったら、郵便屋さんになりたい」と答えた。忘れ物の多いハリカが郵便屋さんになったら、きっと届け忘れや、届け間違いといった「誤配」がしょっちゅう起きるに違いない。しかし、それはなんて素敵なことだろうか。亜乃音は、かつて陽人に「探し物したら、もっと面白いもの見つかるかも」と言った。人が人を思うとき、忘れ物は、もっと面白いものを見つけさせてくれる。偽物は、本物になる。メロンパンは、メロンになる。ハズレは、アタリになるのだ。 <TEXT/福田フクスケ>
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