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米津玄師、スランプだと明かした理由は?ネット発時代の功罪

 昨年の紅白で歌手別視聴率44.6%をマークし、全体の2位にランクインした米津玄師(27)。キャンドル5000個を灯して歌った大塚国際美術館のシスティーナ礼拝堂が、観光名所になるほどの影響力でした。年が明けても毎日のように絶賛する記事を見かけますよね。
米津玄師

米津玄師(ソニー・ミュージックレーベルズ リリースより)

米津玄師、ブログで「スランプ」だと明かす

 というわけで、向かうところ敵なし状態かと思いきや、意外にも“スランプ”にハマっているらしいのです。昨年12月15日に更新されたブログは「スランプ」と題して、「何かを変えなければいけないのはわかっているんだけど、その原因を見定めるための教養と体力が足りてない。こういうのを俗にスランプと呼ぶんでしょう」と、曲作りで悩んでいる様子がつづられていました。  確かに、作詞、作曲からミュージックビデオまで、すべてを一人でこなすのは相当にきついと思います。しかも、今回の紅白で新世代のスターとしての期待も寄せられ、プレッシャーものしかかるでしょう。  もちろん、彼はそうした評価を受けるにふさわしいミュージシャンです。音節の多い言葉を、くっきりと心地よく聞き取らせるフレージングの運動神経はバツグンですし、聴き手を泣かせるサービス精神にあふれたメロディと和音のマッチングにも、“米津印”がきちんと刻まれている。  漠然とした“才能”任せではなく、じっくり仕込んだ下地ががうかがえるのですね(筆者も昨年3月、その本格派ぶりについて記事にしています)。

本人が自覚している、引き出しの少なさ

 ただし、その一方で指摘しなければならないのが、引き出しの少なさです。ご多分に漏れず、2014年の「アイネクライネ」で彼を知った筆者ですが、それ以降の曲を聴いても驚きはありませんでした。良いと感じたとしても、想定の範囲内に収まってしまうといった具合でしょうか。  まず気になったのは、歌詞の狭さです。あえて雑に要約しますが、“俺がこう感じる気持ちを、あなたは知らない。だから孤独だ”という以外の要素が見当たらないのですね。「KARMA CITY」の、<この感情は生まれ持っていたって 気づいた頃に 君は何処にもいないなんて>というフレーズが象徴的です。関心の中心にあるのは、いつも自分の感情。  しかし、その感情とやらは永遠に社会に組み込まれないので、すれ違いや噛み合わなさでしか確立できない“自分”を狡猾に演出する仕組みにもなっている。いわば、マッチポンプの傷つきやすさが主なテーマであることに、少なからず危うさを感じます。  もちろん、そうした繊細さが若い人たちの共感を得ているのかもしれませんが、あまりそればかりを追求してしまうと、究極的に行き着く先はカート・コバーン(ロックバンド、ニルヴァーナのボーカリスト 1967-1994)になりかねません。  なので、今後は年配の作詞家に外注してみるとかの試みをしてみるのもよいのではないでしょうか。

ネット発で認められることの功罪

 次に作曲面ですが、“米津印”の決めフレーズと、そこに至るまでのパターンが少ないのが気がかりです。早い話、どれも似たり寄ったりに聞こえてしまうのですね。特に「orion」と「ピースサイン」は、同じ曲をテンポとアレンジを変えてやっているのかと思ったほど。  もっとも、それは特徴があるという長所でもあるのですが、それでも手持ちの札が限られている感は否めません。「ホワイト・クリスマス」の作者、アーヴィング・バーリン(1888-1989)は、作曲とは、7つか8つのパーツを使って家具を組み立て直す作業に似ていると話していましたが、米津玄師にはまだそこまでの数も揃っていないように感じます。  その一因として考えられるのが、クライアントからの注文に応える下積み経験の乏しさ。これは米津玄師に限らないのですが、名前が売れる前から“自分の世界観”をもとに創作活動ができてしまうネット時代の弊害ですね。  オリジナル曲を直接公開できることですぐに能力を認めてもらえるメリットの反面、他人の依頼に対して音楽を合致させていく単純作業としてのトレーニングの場が減っているような気もします。
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Youtube発のジャスティン・ビーバーが変身できた方法
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