これを踏まえた上で、性欲を2人の関係に持ち込んでみます。前回や前々回の回答で説明したように、性欲にはいろいろな種類があります。麻生さんが嫌悪しているのは、排泄の処理の道具として自分が消費されることですよね。それはごもっともです。人としてではなくモノとして扱われているのですから嫌になって当然です。

ですが、快楽を求める欲求が人間にはあるということは認めるようにしてください。
性的な行為をして快楽を求めるのは、人として自然なことです。文化や宗教によってはそれを悪としていますが、僕はそうは思いません。悪なのは、自分の快楽のために他者の意思を無視し利用したり搾取することです。
快楽を求める過程で、相手を必要とする場合は、相手が嫌がる事はしないということが絶対で、
相手が何のプレッシャーも感じず自由意志のもとでOKする事なら何をしてもいいと僕は思っています。その時は、それこそ第三者が口を挟むことではありません。
なぜ、快楽を求める性欲を認めるべきかというと、認めないということは自分の性欲を認めないということにもなり、自分の中にもし性欲が芽生えてきた場合に、自分のことを嫌悪するし否定することになります。それはとても辛いし、人として不自然だと思うのです。あって当たり前のものは自然なまま受け入れるべきです。

それから、麻生さんのことを性の対象として見てくる男のすべてが、(エロい)モノとして見ているわけではないです。自分の快楽欲を満たすために最適な道具として見ているのではなく、1人の人間(個人)として魅力を感じ、親しくなりたい、触れ合いたいと純粋に思っている人もいるでしょう。
そういった人の中で、麻生さんも相手に魅力を感じたり、興味が沸いたら2人の関係を前に進めても良いのではないでしょうか。その際に
重要なのは、あらゆる場面でお互いの意思をちゃんと伝え、尊重しあえる時間を積み重ねていくことです。どこかで自己犠牲心を発揮してしまうと、相手が、「この人はモノになってくれる人なんだ」と勘違いしてしまいます。
新しく出会った人と対等な関係を築いていくのは、日々の積み重ねが重要です。それは会話や日常での立ち振る舞いを大切にするということです。その中で、エロいことは、お互いを信頼しているからこそできる行為であり、そこに快感が伴えば日常にある行為のどれよりも深く繋がれた感覚を味わえます。
愛しているからそういった行為をするのではなく、信頼し大切に思っているからそういった行為をし、そしたら、愛という自他の境界線がなくなる状態になったというのが僕の認識です。