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“女らしさ”に意味なーし!って37歳で悟った/ジェーン・スー×中野信子

「女らしさ」を脱いでいったらめっちゃ楽になった

――「自分らしく」いられない原因が、単純に割り当てられた概念的な「男」「女」の役割にあって、それは社会のバグであり、システムの問題。だとしたら、解決はより難しい気もします。 中野:死ぬまで解決されない問題、問題そのものを解決するのが難しいとなったら、認知を変えるしかないんですね。でも、脳の性質として、問題を完全に解決するとつまらなくなるんです。解決するとやる気がなくなる。やる気というのは、つまり生きる力のことです。
ジェーン・スー/中野信子 『女に生まれてモヤってる!』(小学館)

中野信子氏

スー:完全なる解決までは長い道のりだとしても、改善はできると思うんですよね。中野さんによると、我々は何かを解決しても、次から次へと不具合を認識していくらしいので、そういう意味でも「完璧な解決」は難しいだろうし。 中野:満たされないのがモチベーションになるという特性があって、解決したと思っても、問題を見つけてしまうんですね。だから、「満たされないことも大事だ」っていうのも裏テーマとしてあるんです。 ――おふたりが自分自身を評価できた、自信を持てたのが37歳ぐらいのときとのことですが、何かきっけがあったのでしょうか。 スー:さっき、中野さんが「解決できない問題なら、自分の認知をどう変えていくか」っておっしゃいましたけど、実際、我々は自分たちの認知を変えたことによって、ものすごく楽になりました。 “清楚”とか“協調性がある”とか、誰が決めたかわからない「あるべき女」の定義を一個ずつ、ポコンポコンと手放していったら、「ああ! めっちゃ楽!」「可動性が高い!」って気がついた。

幸せの枠はひとそれぞれ

中野:「ここから覗いてくださいね」というフレームを渡されて、小さな頃から「ここから見るものだ」と刷り込まれてきたわけです。「うそなんじゃない?」と薄々は感じつつも、「そういうものだ」って思い込もうと、自ら努力したりさえする。でも、いずれ人間は、別の角度から見える景色の美しさに気づいてしまう。
ジェーン・スー/中野信子 『女に生まれてモヤってる!』(小学館)

中野信子氏(左)、ジェーン・スー氏(右)

「私、こっちのほうが気に入ったから」と自信を持って言えるようになることの豊かさを、衒い(てらい)なく受け止められるようになる。それはすごく気が楽だし、みんなが見ていないから得した気分にもなる。 スー:私たちもそうですけど、みんなと同じことが幸せに直結するわけではない人って男女ともにいると思うんですよ。 中野:もともと、「どうして、その枠にはまらなきゃいけないんだろう?」という疑念は、たぶんふたりとも持っていたんですよね。だけど、世の中で生きていくためには、適応しなくてはいけないっていう強迫観念もあるわけです。  それが、歴史的事実を知ったり、他の国で暮らす機会があったりして日本独特のものだっということに気づく。枠を外す勇気を与えてくれたのは、知識を得たこと、そして人との交流が大きかったと思います。 スー:私の場合、単純に「無理の臨界点」を超えたのが35歳あたりでした。本にも書きましたが、ちょうどその頃、女らしくふるまって結婚寸前までいったことがあるんです。式場の仮予約までしたんですけど。そのときすでに、コップはいっぱいで溢れる寸前だった。中野さんもそうだと思うんですけど、不真面目なんだけど真面目な性格で、「できない」ということが嫌なんです。 中野:一緒ですね。
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“女の子らしさ”に意味なんてないと気づいた35歳
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