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氷川きよしの和訳「ボヘミアン・ラプソディ」がやっぱり変なわけ

テイラー・スウィフトを日本語カバーしたMACOも

 というわけで、ここからはもう少し翻訳カバーについて見ていきましょう。まずは英語から日本語のパターン。  ディープパープルやレッドツェッペリンなどの“直訳ロック”で一世を風靡した「王様」は、その困難を逆手に取ってパロディーにしてしまった例でしょう。
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 一方で、メロディを生かしながら内容にも寄り添った結果、予想外の風合いが生まれた曲もあります。ギルバート・オサリバンの大名曲「Alone Again Naturally」を、なかにし礼氏(81)が訳詞した「また一人」(九重佑三子)は、歌い出しからして傑作です。  <In a little while from now If I’m not feeling any less sour>を、<私としたことが あなたに棄てられて>と歌うと、妙にクセになる。16分音符の軽やかさと、そそくさとした日本語のマッチングがユーモラスに響くのですね。ただ、これも王道のカバーと言えるかというと、ちょっと難しい。  最近ではテイラー・スウィフト(30)をカバーしたMACO(28)もいましたが、歌詞だけでなく音楽全体をグーグル翻訳したような無機質さに現代を感じたものです。

氷川きよしには英語で歌ってほしかった

 逆に、日本語曲の英語カバーはどうでしょう。アメリカのシンガーソングライター、スティーブン・ビショップ(68)がカバーした槇原敬之(50)の「どんなときも」のがっかり感が忘れられません。どうやっても英語には乗らないメロディなのですね。日本語ではタイムレスなきらめきを放つ楽曲も、言語が変われば驚くほど色あせてしまう。  同様に、アメリカのロックバンド・MR.BIGのボーカリスト、エリック・マーティン(59)が歌う一青窈(43)の「ハナミズキ」も、もたついて聞こえました。やはりそれぞれの言語の持つ強弱や抑揚に沿って、メロディの心地よさは決まってくるように思います。 「上を向いて歩こう」と「Sukiyaki」みたいに、どちらの言語でも自然に聴けるケースは稀なのでしょう。  ここまで色々と考えてみましたが、やっぱり氷川きよしには英語で歌ってほしかった。意味が伝わらないと思うのであれば、湯川れい子氏(日本語歌詞の作詞者)による解説や補足をテロップで入れるなりすればよかったのではないでしょうか。  コピーともカバーとも新解釈ともパロディとも呼べない「ボヘミアン・ラプソディ」。真剣であるがゆえに、むず痒い結果になってしまいました。 【関連記事】⇒氷川きよし、ビジュアル系に変身して演歌にも変化が… <文/音楽批評・石黒隆之>
石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
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