ただし、それが純粋な恋愛感情だったかどうかは疑わしいです。なぜなら、結婚を止めるという方向で話がされていなかったみたいなので、思考はしっかりと働き、感情や欲望を上回っていたと思われます。これがズルい。
今回の不倫のズルさは、感情の出来事のように振る舞いながら、実はしっかりと思考が働き現実的な判断をしていることが多いからです。
離婚する気はない、家事育児はしない、バレなければいい、モテるんだから仕方ない、かわいそうな俺にはこれぐらいの息抜きが必要、みんなしてる。
東出氏には純粋な恋愛感情が、不倫相手にも、妻にもなかったのではないでしょうか。あったのは、自分勝手なエゴです。自分が一番可愛いという自己愛です。だから、不倫相手とも、結婚相手とも上手くいかなかったのでしょう。自己愛は生きていくうえで大切ですが、それを満たすために他者を自分勝手に利用してはいけません。自他の尊重の精神に反します。
感情が本質的に自己愛かというと、必ずしもそうではありません。感情にはエゴイスティックなものもあれば、自己犠牲的なものもあります。自己犠牲的なものを美しいとする価値観がありますが、僕はこれが危険だと思っています。自己犠牲心を発揮し過ぎると、自己否定が過剰になり、いつの間にか自尊心の喪失に繋がるからです。夫婦仲の悪い家庭で育った子どもに、この傾向があります。
話を本筋に戻します。
感情には、自分と相手の両方にまたがるものが存在します。それは憐みであり、愛おしさです。共感性の高い感情で、自分勝手な恋愛感情が愛になるには、この感情が必要です。
恋愛結婚なら、恋愛感情がなくなった時点でその根幹が喪失しているから破綻しています。でも、続ける人が多い。それは、結婚は感情ではなく、思考的判断が優先されるものだからです。でも、思考だけで繋がる結婚では幸せが感じられにくいです。そこに共感性の高い感情があるといいです。
幸せが続く結婚には、高度な思考的判断と、共感性のある感情が必要です。ただし、それらが揃っても、お互いが満たされるセックスが自然とついてきてくれるかというと別の話です。セックスは欲望の行為で、欲望には生得的な要素が含まれるから、自分の意思でどうにもならないところがあります。性的指向と、性的嗜好(性癖)と呼ばれるものです。だから難しい。
と、ここで問題が振り出しに戻るわけです。
不倫が純粋な性的欲望表現だったら、仕方ないのではないでしょうか。家庭のことを思考的にしっかりし、妻を感情的にも大切にし、その上で性的欲望だけは家庭外で、相手の同意の元で満たす。それだったらどうでしょうか。
言うまでもなく今回のケースには当てはまりません。今回のケースは置いといて、恋愛と結婚とセックスを三位一体で完成させることがどれほど難しいことなのかと、今一度考えてみてもいいのではないでしょうか。日々、恋人やパートナー、結婚相手に内緒でセックスを求める人々に接するので、そんなことを考えざるを得ません。