子宮外妊娠、流産…「私が悪いんだ」と悩み続けた日々
「ファミリー」という言葉を聞いて、あなたはどんな光景が浮かぶでしょうか。おそらく多くの人は、子どもがいる家族を連想するのではと思います。でも、子どもがいない夫婦だって、ファミリーに違いないはず。
現在43歳の美咲さんは障害者事業所内の喫茶店で活き活きと働いている、明るい女性。しかし、その人生にはいくつもの絶望がありました。
まず初めに美咲さんを襲ったのが、「子宮外妊娠」という予想外の事態でした。ある日、激しい腹痛に見舞われ、病院へ緊急搬送された美咲さんは検査により、卵巣に妊娠してしまう珍しい子宮外妊娠であることが判明します。心の整理もつかないまま、緊急手術を受けることとなりました。
せっかく我が子を授かれたのに、産めない無念さ。「医学の技術でなんとかならないのかなと思いました。すごくもどかしく、悲しかったです。」
その後、美咲さんは無事に退院。病院での検査により卵管が詰まっていることが分かったので、不妊治療を行い、我が子を授かろうと思うようになりました。車で片道1時間以上かけて、病院へ通います。市や県からの補助金はごくわずかだったため、夫婦は節約をしながらお金を貯め、治療を続けました。
しかし、周りに不妊治療をしている人がおらず、胸の内が開かせない辛さは想像以上のものでした。必死で平気なフリを続ける日々を繰り返すうちに、美咲さんの心は限界に。いつしか、子どもを授かれない自分のことを激しく責めるようになったのです。
「当時はずっと、自分が悪いのだと思っていました。仕事と治療の両立も難しく、抑うつ状態に……。お金も底をつき、治療をお休みするようになりました。」
そんなある日、体に異変を感じたため、妊娠検査薬を使用してみると、なんと妊娠反応が。「絶対にまた子宮外妊娠だ」と思い、入院の準備をして病院へ直行しました。すると、医師から意外な言葉を言われます。「子宮内で妊娠していますよ。」
望んでいた赤ちゃんが自分の子宮に来てくれた、美咲さんはその事実に感動し喜びました。しかし、当時、彼女は38歳。嬉しさだけでなく、流産の不安も頭をよぎりました。
そして、その不安は残酷にも現実にものに……。妊娠初期に流産し、会いたくてたまらなかった我が子はお腹の中からいなくなってしまいました。「夫と2人で何度も泣きました。せっかく子宮に宿ってくれたのに、流れてしまった。私、何か悪いことしたのかな、と自分を責めました。」
この経験は心に忘れられない傷を与え、美咲さんはそれ以降、妊娠すること自体を諦めてしまったといいます。
そんな考えを抱かせてくれたのが、子どもを持たない人生を選ばざるを得なかった美咲さんの体験談でした。
ある日、突然激しい腹痛に襲われて…
子どもを授かれない自分を責め続け、抑うつ状態に
待ち望んでいた赤ちゃんを妊娠したけれど…
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