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『あんぱん』吉田鋼太郎“釜じい”の死に「切なさを感じなかった」理由。炸裂した“粋な演出”も話題

 7月18日に放送された、NHK連続テレビ小説『あんぱん』(NHK総合・毎週月~土あさ8時~ほか)第80回で、主人公・のぶ(今田美桜)の祖父である“釜じい”こと釜次(吉田鋼太郎)が病死した。

NHK『あんぱん』© NHK(以下同じ)

 放送ラストには林田理沙アナウンサーが「ほいたらね」と締めるケースが定番だが、第80回では釜次が「ほいたらね」と読み上げるという粋な演出が炸裂。本作屈指の“癒し系”である釜次ともう会えないことへの寂しさがグッと押し寄せた。

最期が“わかる”という安堵感

 これまでもいろいろな登場人物が“退場”していった『あんぱん』ではあるが、釜次の死には不思議と切なさは生まれなかった。その要因として、本作において釜次は数少ない“天寿を全うした”キャラだったことが挙げられる。  本作では豪(細田佳央太)や千尋(中沢元紀)をはじめ、戦死した登場人物が少なくない。彼らはあくまで何千、何万といる戦地で命を落としたうちの1人であり、どのような死に方をしたのかさえ不明だ。敵兵と勇ましく戦った末の死だったのか。嵩(北村匠海)をはじめとした隊員が戦地で飢餓状態に苦しむ姿が描かれていたが、彼らは餓死したのか。その詳細は全くわからない。  死は悲しい。それでも、最期がわかるだけでこれほどの安堵感があるのかと、釜次の死から感じた。

大切な人の死を「悲しい」と言えなかった

 近しい人たちが悲しむ姿が描かれていたことも大きい。布団の中で旅立つ直前の釜次を朝田家の全員が囲み、悲しみを抱きながらも別れや感謝の言葉を伝えていた。  一方、戦死はどうだろうか。当時、戦死は“名誉の死”と捉える必要があり、悲しみを見せようものなら非国民扱いを受けていた。豪と相思相愛だった朝田家の次女・蘭子(河合優実)が豪の訃報を聞かされて悲しみに暮れている時には、のぶから「立派やと言うちゃりなさい。豪ちゃんの戦死を誰よりも蘭子が誇りに思うちゃらんと」と言われている。大切な人を亡くしても「悲しい」と口にできず、それどころか死を“ポジティブ”に変換することを強いられていた。  家族や恋人が亡くなることは耐え難い苦しみが伴う。ただ、その感情を誰からも否定されることなく、表出できることがどれだけ幸せなのだろうかとも思えた。言い換えれば、そんな当たり前な感情さえ無理やり蓋をさせようとする戦争の残酷さにゾッとせずにはいられなかった。
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別れの気持ちを抱きやすい“死”の形
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