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37歳、想定外の妊娠からついに出産!病室は散らかり、なくしもの多発…夫から「だらしない」と言われるも実感したこと

 37歳で想定外の妊娠をし、2025年8月末、ついに男の子を出産した。 姫野桂さん 妊娠に気づいたのは16週に入ってからだった。長年の生理不順や「妊娠は難しい」と言われていた過去に加え、ADHD(注意欠如・多動性障害)の特性でセルフネグレクト癖があり体調管理がおざなりになること、算数障害(発達障害の一種で数字、計算に困難を抱える学習障害)で生理周期を正しく把握していなかったことなど、いくつもの要因が重なっていたのである。  今回は、そんな私のお産と産後のドタバタを記していく。 【連載を初めから読む】⇒連載「ADHDライター、突然ママになる」

38週4日目の朝、ついに破水

産む直前、最後のお腹を写真に収める

産む直前、最後のお腹を写真に収める

 8月末、38週に入りいつ産まれてもおかしくない日々を過ごしていた。臨月の体は重いし、かがめないし、少し歩いただけで恥骨や尾てい骨、腰が痛くなる。  出産予定日は9月7日で自分と同じ誕生日になる可能性もあり、最初は予定日ぴったりに産みたいと思っていた。しかし、そんな楽しみよりも体がしんどくなって早く産んでラクな体になりたく、予定日より早く産まれるという“陣痛ジンクス”、「焼き肉を食べる」「オロナミンCを飲む」「雑巾がけをする」といったことを試していた。  とはいえこれらのジンクスに医学的根拠はないので、医師にアドバイスされた散歩も毎日続けていた。  そして38週4日目の朝。尿意で目が覚めてベッドから立ち上がって歩き出した瞬間、尿ではない何かが2度続けて漏れる感覚がした。破水と思われた。夫を起こして病院に電話をすると、もうすぐ午前中の外来が始まるのでその時間に来てくださいとのこと。  事前に登録していた陣痛タクシーを呼んで夫と病院に向かい、内診を受けている最中も股からボタボタと液体が流れ落ちていき「確実に破水ですね」と医師。そのまま入院となった。  てっきり破水があったらすぐに陣痛が来てそのまま出産となるかと思いきや、その日陣痛が来ることはなく、お産は翌日に持ち越しになった。夜に陣痛が来ることが多いとのことで一晩待ってみたのだが陣痛が来る気配はなく、翌日は朝6時から陣痛促進剤を点滴されて夕方5時まで頑張ったものの産まれず、さらに翌日に持ち越しに。  前日からずっと、朝食も昼食も分娩室でNSTのモニターに繋がれたまま摂っていて、歯磨きも分娩台に座ったまま洗面器のような容器を持ってこられてそこに吐き出しておこなった。

2752gの息子が誕生!

小さな足 入院3日目、今度は朝からバルーンで子宮口を広げ、前日とは別の種類の陣痛促を投与された。そして午前10時過ぎ、陣痛がやってきた。腰が砕けそうに痛くて声が漏れる。こんなに痛いとは聞いていない。  陣痛開始から2時間半後、2752gの息子が誕生! 破水から52時間後に誕生という長いお産だった。産まれた後はバースプランに書いたとおり、胎盤を見せてもらって写真を撮ったり、カンガルーケア中の写真を撮ってもらったりした。  また、私はわりと体力があるほうだとわかった。出産後、分娩台から降りて歩いて病室に戻ろうとしていたら助産師さんが顔色を変えて飛んできた。 「姫野さん、歩けるんですか!? 出血が多くて貧血状態なので車椅子で戻ってください!」  と車椅子を持ってきて車椅子で病室に送られた。後で知ったのだが、出産時に500ml以上の出血があると多量とされ、私は660ml出血していた。しかし元気だった。病室に帰った後も友達に報告LINEをしていたら「もうLINEできるの!? うちの妹が産んだときは何もできずに寝ていたよ」と言われたり、母からも「産んだ後は動く余裕なんてなかった」と言われたりした。  そういえばバースプランに「胎盤の写真を撮りたい」と書いたのも、知り合いのライターさんから「出産時の貧血で気を失ってしまい、胎盤をよく見られなかったから写真に残したほうがいい」と言われたためだった。  他の人と比べてこんなに体力があったのは、妊娠後期に毎日散歩をしていたからかもしれない。
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産んだ後、発達障害由来の困りごとが続出
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