まさかの結末…。夢を諦めたことがある人なら涙が出る最終回|ドラマ『もしがく』
この結末を誰が予想したでしょうか? 12月17日に放送された『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(フジテレビ系)最終回に、視聴者からは「せつない」「悲劇で喜劇」など様々な感想が。脚本の三谷幸喜は、この作品で何を言いたかったのか――。
ほぼ毎話のレビューをしてきたドラマ・演劇批評家の木俣冬さんが、振り返ります。(以下、木俣さんの寄稿。ネタバレを含みます)。
【特集】⇒『もしがく』ドラマレビュー
三谷幸喜は形態模写が巧い。それも文豪の。少年時代、歴史上の人物に扮装してなりきって写真を撮るのが趣味だったらしい三谷。三つ子の魂百まで。
2022年、菊池寛賞を受賞したとき、贈呈式に菊池寛の扮装で出席した。12年、チェーホフの『桜の園』を脚色・演出したとき(『三谷版・桜の園』)はチェーホフの顔真似をしていた。文豪ではないが『ワルイコあつまれ』(24年 NHK)ではアインシュタインになっていた。そして、『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(もしがく)最終回で三谷が演じたのは、井上ひさしだった。
井上ひさしとは直木賞作家でもある劇作家。『ムーミン』や『ひみつのアッコちゃん』の作詞でも有名。
三谷演じる井上は劇団クベシアターの『ハムレット』を観て「ハムレットの真髄がある」みたいなことを語る。
ちょっと歯が出た口元と黒い丸い眼鏡の伏し目がちな表情。徹底して顔を作って、喋り方も再現した。おもしろい方向にぐっと拡大しているから当人(故人だが)が見たらいやかもしれないが、傍から見たら特徴を掴んでいて親しみを感じる。
史実の井上は74年にシェイクスピア全作を盛り込んで時代を天保時代に置き換えた『天保十二年のシェイクスピア』を書いている。いわば『もしがく』の先行作である。
ここで井上が久部(菅田将暉)と語らず蓬莱(神木隆之介)と語るのは、井上が若き頃、浅草のフランス座というストリップ小屋の座付き作家をやっていたこともあり、三谷を投影したとされる蓬莱の先輩的な存在だからであろうか。
三谷幸喜は観察力とか記憶力が抜群にいいのだろうと思う。それを生かして、好きな映画やドラマをすてきにアレンジして自作のなかに溶け込ませたりするのも得手なのだろう。
最近のネットニュースでも取り上げられていた、三谷が菅田将暉と神木隆之介と出演した『僕らの時代』(フジテレビ)で、自作の批判をする人をエゴサして、「顔」を突き止めるという執念深さ(?)。批判する人の「顔」は?という探究心と、文豪や天才の顔マネはどこか通底している気がする。美醜ではなく面構えがいいとか悪いとか言うように、その人の考えや体験が顔に出る。三谷幸喜の他者の顔真似は深い洞察力に基づいている、ような気がする。
三谷幸喜が、まさかの井上ひさし役で登場
自作を批判する人の「顔」を突き止める
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