1984年、風営法が改正され街が変わりはじめた時代の渋谷を舞台にした『もしがく』。当人は朝日新聞の連載コラムで『もしこのぶたがく』と書いていた。第7話では『もしこぶ がくどこ』と、おばば(菊地凛子)が冒頭でそう語っていたが、『もしこのぶたがく』が正解なのか。ややこしいのでとりあえず『もしがく』としておく。
最終回。おばばの予言「一国一城の主となる」が当たり、WS劇場を手に入れた久部(菅田将暉)だったが、おばばは次第に久部の運気が下がってきていることに気づく。タロット占いでは塔という不吉な崩壊や転落を意味するカードが出た。
念願の『ハムレット』を自身の主演で上演している久部。観客は入っているが、それは大瀬(戸塚純貴)のアイドル的人気によるもので。のちに指摘される「芝居のできないオフィーリア(リカ)と人望のないハムレット(久部)」がメインで根本的に演劇としての価値がズレはじめていた。劇団員も惰性でやっているような雰囲気で、蓬莱(神木隆之介)や樹里(浜辺美波)は旗揚げの頃が良かったと思っている。

『もしがく』最終話より©フジテレビ
演劇に限ったことではなく、集団とはとかくこういうもの。最初はひとつの目標に向かって盛り上がるが、一度、ある程度結果が出ると次第に緊張感がなくなり、意見の不一致も生まれ、バラバラになっていく。
(*以下最後までネタバレします)
自分で作った劇団を久部はその手で崩壊させていく。下手くそなリカを演出家の特権で贔屓し、自分の失態を大瀬になすりつける。大瀬のエピソードは『オセロー』のハンカチのエピソードをうまくアレンジしている。さらに劇団の売り上げをこっそり使い込む。支配人の大門(野添義弘)と妻・フレ(長野里美)を追い出した横領をそっくりそのまま自分も行いながら悪びれない。結局、どうにもならなくなって、リカにも見切られてしまう。
リカは裕福な家に生まれたが没落してストリッパーに身を堕としており、電車で帰れるところ(小田急線・千歳船橋という絶妙)に実家がある久部とは相容れないと突き放す。しょせんは、八分坂は久部にとって外から来て野次馬的にちょっと覗き込んでいる者にすぎないということだ。
そんな久部に樹里は、シェイクスピアの戯曲に不要に思えるような役も出てくるのは、彼が劇団の座付き作家で、劇団員全員に役を与えなければいけなかったからで、「だからシェイクスピアの作品はあたたかい。どんなに悲しい話でもあたたかい」と彼女なりの論を語る。

『もしがく』最終話より©フジテレビ