作家こだまが綴る小説『けんちゃん』の原点「嵐は自分の使ったお金がわからない」/けんちゃんのいる世界Vol.2
障害を抱えた高校生けんちゃんと、彼と出会い振り回される人々を描いた小説『けんちゃん』。著者こだまは、かつて特別支援学校の寄宿舎に非常勤職員として勤務。たくさんの子どもたちと関わった経験を下敷きに小説を書き上げたという。そんな小説『けんちゃん』刊行を記念して、その原点とも言うべき、こだまがブログに綴っていた“けんちゃんエピソード”を公開。全8回。みんなけんちゃんを好きになる――。
寄宿舎の一階にある食堂ホールで夕食を済ませた生徒たちは、消灯時刻の二十二時まで思い思いに時間を過ごす。談話室でテレビを観たり、友達同士でスマホゲームに夢中になったりしながら、短い夜のひとときを楽しんでいる。ほどよく緩んだ空気が漂う廊下を歩いていると、十一号室から低い唸り声が聞こえた。
けんちゃんだ。部屋の中を覗くと、何かに追い込まれるように机に向かっていた。
「どうしたの?」
「いっ忙しい。パ、パンクしちゃうよ。ぼ、ぼかぁ時間がないのに」
彼は髪を掻きむしりながら答えた。
お小遣い帳の記入が追いつかないらしい。「そんなに大変なの?」と、その使い込んだ小さな手帳を見せてもらう。どのページも筆圧の強い文字でびっしりと埋まっていた。
えらいなあと感心しながら眺めていると「家賃」と書かれたページに「さくらい翔」「あいば」「にのみや」「まつもと」「おおの」という名前が並んでいた。おそらくあの五人だ。一体どういうことだろう。
それぞれの名前の下に金額が記されている。「さくらい翔」が一番高い部屋に住んでいるようだ。家賃一万二円の部屋だ。端数だ。思っていたよりも庶民的な暮らしをしている。まさかと思ったが「水道」、「ガス」、「ボーナス」のページにもしっかり書き込まれている。ガス代は、「さくらい翔」が五百円、「あいば」五百二円、「にのみや」三百二円と続く。ほかのふたりはガスを使っていないようだ。
「これを毎日書いてるの?」
「そ、そうさ。あっ嵐は自分の使ったお金がわからなくなるから、かっ代わりに書いてあげなければ駄目なんだ」
けんちゃんは憤慨していた。
帳面を埋めることが彼の大事な「仕事」だという。痺れた。嵐の生活水準は彼の手に委ねられている。けんちゃんの世界では、家賃も水道もガスもボーナスも株価のように日々変動する。今は「さくらい翔」が一番いい暮らしをしているけれど、一週間後はどうなっているかわからない。
けんちゃんは明日も明後日も「し、しっかりしてくれよぅ」と少し怒りながら端数の多い嵐の生活費を管理する。誰かの目に留まるかどうかなんて関係なく、彼の「仕事」は続くのだ。
※本稿は、著者こだまが文学フリマ東京(2015年11月23日)で頒布したエッセイ集『塩で揉む』の一遍を、個人の特定に至らないよう加筆・修正したものです。
「けんちゃん」と人々の交流を描いた連作小説『けんちゃん』が扶桑社より好評発売中!
ご購入はこちら⇒https://www.amazon.co.jp/dp/4594101798
Vol.2 「嵐は自分の使ったお金がわからない」
「けんちゃん」と人々の交流を描いた連作小説『けんちゃん』が扶桑社より好評発売中!
ご購入はこちら⇒https://www.amazon.co.jp/dp/4594101798

こだま
作家。私小説『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)でデビュー。同作はNetflix・FODでドラマ化されるなど大きな反響を呼んだ。また、エッセイ集『ここは、おしまいの地』(太田出版)は第34回講談社エッセイ賞を受賞した。その他著書に『いまだ、おしまいの地』『ずっと、おしまいの地』『縁もゆかりもあったのだ』(太田出版)がある。本作『けんちゃん』が著者初の創作小説となる。
この特集の前回記事



