作家こだまが綴る小説『けんちゃん』の原点「けんちゃんのファミリーコンサート」/けんちゃんのいる世界Vol.3
障害を抱えた高校生けんちゃんと、彼と出会い振り回される人々を描いた小説『けんちゃん』。著者こだまは、かつて特別支援学校の寄宿舎に非常勤職員として勤務。たくさんの子どもたちと関わった経験を下敷きに小説を書き上げたという。そんな小説『けんちゃん』刊行を記念して、その原点とも言うべき、こだまがブログに綴っていた“けんちゃんエピソード”を公開。全8回。みんなけんちゃんを好きになる――。
「コ、コンサートで歌う曲が、かっ完成したんだけど、ち、ちょっと見てくれるかな?」
けんちゃんが大学ノートを脇に抱えてやってきた。一週間にわたるペプシ禁止令が解けた今、彼の表情はいつになく晴れ晴れとしている。
けんちゃんが歌を作っていたなんて初耳だった。何事も前触れなく始まり、周知の事実のように言う。それがけんちゃんだ。
ノートをめくると十作ほどの歌詞があった。嵐の家賃管理にテレビ欄の作成、そのうえ自身のコンサート。彼の活動はとどまることを知らない。
完成したばかりの曲のタイトルは「夢に向かって」。筆圧の強い文字で綴られている。高校生らしい若さに満ち溢れたタイトルだ。
「夢に向かって」
ぼくらは春になったらおしっこなどをもらす
ららら コンビニなどでもらします
七じです 手を洗いましょう
用事のない人 119してはならない 人がめいわくする
手を洗いましょう
作詞 けん
作曲 けん
アレンジ けん
歌手 犬(けん)
けんちゃんがいま最も世間に伝えたいメッセージは「手を洗おう」という日常でつい忘れがちな習慣だった。とても大切なことだ。個人的な体験をさりげなく「ぼくらは」と一般化しているのを私は見逃さなかった。漏らすのだろう、誰しも春になったら、コンビニなどで。そう言われたら、そうかもしれない。否定できない。
最後の一行にも注目だ。歌い手、犬(けん)。作詞や作曲をするときと歌うときの名前をちゃんと使い分けている。あまりにもプロっぽい。
犬(けん)の初舞台は八月一〇日。「ファミリーコンサート」と銘打ち、けんちゃんの故郷の市民体育館で開催するという。彼の胸ポケットには手書きのチケットが入っていた。座席番号は二七八~二八八のみ。ファミリーコンサートだけど二席しか設けない。しかも、けっこう後方にある。
この物理的な距離を犬(けん)と二人のファンはどのように埋めるのだろう。聞きたいことが山ほどあったが「当日のお楽しみ」と、はぐらかされてしまった。私にチケットをくれる気配はない。けんちゃんの感性は常に私のはるか先をゆく。
※本稿は、著者こだまが文学フリマ東京(2015年11月23日)で頒布したエッセイ集『塩で揉む』の一遍を、個人の特定に至らないよう加筆・修正したものです。
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Vol.3 「けんちゃんのファミリーコンサート」
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こだま
作家。私小説『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)でデビュー。同作はNetflix・FODでドラマ化されるなど大きな反響を呼んだ。また、エッセイ集『ここは、おしまいの地』(太田出版)は第34回講談社エッセイ賞を受賞した。その他著書に『いまだ、おしまいの地』『ずっと、おしまいの地』『縁もゆかりもあったのだ』(太田出版)がある。本作『けんちゃん』が著者初の創作小説となる。
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