「日本死ね」流行語論争のアホらしさ。窪塚まで参戦…で、保育園は?
『新語・流行語大賞2016』でトップテンに入った「保育園落ちた日本死ね」。20日ほど経った今も波紋が広がっています。驚いたことに、いつの間にか反日か愛国かの話になってしまった。「死ね」との表現が“愛国者”たちから激しい批判を受けているのです。

なかでも、選考委員のうちツイッターをやっている俵万智さんが標的になりました。
百田尚樹氏から「深刻さを投げかけるのがいいなら、『土人』の方がインパクトがあったのでは?」と挑発されたり、「愚劣な発表の場を使い反日的な活動をするのはお辞め(筆者註・正しくは“お止め”)ください!」などと批判を浴び続け、ついに俵さんは「日本という国も日本語も、心から愛しています」と言わなければならない状況に追い込まれてしまったのです(引用は両氏のツイッターより)。
どうしてこんなことになってしまったのでしょうか? もう少しさかのぼって振り返りましょう。
まず発表の当日(12月1日)に反応したのが、つるの剛士。「こんな汚い言葉に国会議員が満面の笑みで登壇、授与って」、「日本人としても親としても僕はとても悲しい気持ちになりました」とツイート。ここから“泥仕合”がスタート。
こうした“日本大好き層”に反論を試みたのが、若手論客の古市憲寿や選考委員のやくみつるに鳥越俊太郎などの各氏。
その主張はこうです。
言葉は文脈によって変わるものであり、ブログ全文を読めばそれが比喩であると分かるはず。子供を預ける先のない親たちが発する「悲痛な叫びとしての『日本死ね』でしょ」(古市氏のツイート)というものでした。
こうして、“反日と愛国”という見飽きた対立の構図が出来上がってしまったのです。
授賞式で、ドヤ顔でスポットライトを浴びてしまった山尾志桜里議員(民進党)が火に油を注いでしまったとも言えるでしょう。「こんな言葉が選ばれてしまう社会が辛い……」とかすすり泣きでもしてみせれば、状況は違っていたかもしれません。
それにしても本当にバカげた話ではないでしょうか。いまさら建設的な議論がされなかったことを指摘しても仕方ありません。情けないのは、「日本死ね」が「日本大好き」と同じぐらいに実体のない言葉だという認識がどちらの側にも欠けている点です。
「悲痛な叫びとしての」比喩だとする古市氏らの主張も少し大げさに感じます。もとのブログは、正確に書き起こせば「ったくやってらんねぇよ」ぐらいのところ、目立つために「死ね」としただけの話でしょう。その一方で、それが日本の滅亡を期待する敵対心を表しているわけでもありません。当り前ですが。
もちろん注目を集めることは大事です。しかし、残念ながらブログは“愛国”だとか“リベラル”だとか自称する人たちにとっての代理戦争のネタになってしまいました。待機児童問題や働くお母さんの問題に真剣に取り組む気などない人や、単に言い争いがしたいだけの人たちでも参加できる、うってつけのオモチャが与えられたに過ぎないのです。
SNSが実現したのは、市民を政治や行政の現場から隔離することだけだったのではないかと、イヤミのひとつでも言いたくなります。

俵万智、百田尚樹…いつの間にか反日/愛国論争になっちゃった
昨日、「ユーキャン新語・流行語大賞」のトップテンに、「保育園落ちた日本死ね」が選ばれ、授賞式に出席しました。この言葉を国会で紹介し、安倍政権を追及したことで、大きく注目をいただき、待機児童問題を前に進めることができました。 pic.twitter.com/8ketp82JLJ
— 山尾しおり (@ShioriYamao) 2016年12月2日
働くママ・パパたちの切実さと、何の関係が?

写真はイメージです
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