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実家の日本人形の目が動いた!? お寺で供養してもらったら…

娘に続いて母親も目撃

「家族ですら信じてくれなかったので幼心にこの話はしちゃダメなんだと思い、誰にも言わず自分の中で封印していました。それでもふと思い出すこともあり、夢に出てくることもありました」  ただし、高校卒業後は実家を出たこともあり、日本人形のことも半分忘れかけていたといいます。ところが、社会人として働いていた24歳の夏のある日、母親からの電話でトラウマとなっていた記憶が呼び起こされてしまいます。 「少し興奮した様子で『目が、人形の目が動いたのよ!』と何度も言ってきたんです。母は子供のころに私が話したことを覚えていたらしく、『ごめんなさい。未稀の言ってたことを信じてあげられなくて』と謝ってくれました。  父は目撃していなかったようですが、母はふだん冗談でもウソを言わない人なので信じていた様子でした。祖父母はこのときすでに亡くなっていましたし、両親は人形のことを気味悪がってしまい、私の提案で処分することになったんです」

人形を処分した後、両親の体調が改善

人形供養寺お坊さん しかし、すでにゴミとして普通に処分して後で自分たちの身に何か起きるのも怖かったため、人形供養も行っている県内のお寺に持って行って処分してもらうことに。  この年のお盆休みに帰省した際、両親とそのお寺を訪れた未稀さん。住職に人形を渡すと、しばらくジーっと見つめて「確かに、こちらで引き取ったほうがいいかもしれませんね」と言われたそうです。 「その含みを持たす言い方が気になりましたが、きっと聞いたところで怖くなるだけでしょうし、それ以上に私も両親も一刻も早く手放したかったので、詳しいことは聞きませんでした。こんな形でお話する機会があると知っていれば、聞いておいたんですけど(笑)」
未稀さんが訪れたところではないが人形供養寺。日本各地にあるという

未稀さんが訪れたところではないが人形供養寺。日本各地にあるという

 ちなみに人形を処分した後、母親が長年苦しんでいた片頭痛がウソのようになくなり、年に数回は熱を出して寝込んでいた父親もほとんど風邪すら引かなくなったそうです。 「単なる偶然だと思いたいですが、やっぱりあの人形の仕業(しわざ)だったのかなって。今となってはそれを確かめる術はありませんけどね」  怪奇現象がなかったとしても人形は処分に困るもの。全国各地には人形を供養してもらえるお寺もありますし、ゴミとして捨てるよりはそういった場所に持ち込むのがいいのかもしれませんね。 ―私が「手放して」よかったもの― <文/トシタカマサ イラスト/ただりえこ> ⇒この著者は他にこのような記事を書いています【過去記事の一覧】
トシタカマサ
ビジネスや旅行、サブカルなど幅広いジャンルを扱うフリーライター。リサーチャーとしても活動しており、大好物は一般男女のスカッと話やトンデモエピソード。4年前から東京と地方の二拠点生活を満喫中。
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