何故かと言えば、どのような会話をしているかによるからです。比喩や詩的な表現を使いウィットに富んだ知的な会話をしていれば高尚と捉えられますが、もしかしたらすごく陳腐な恋愛ごっこをしているだけかもしれません。天使という表現は、プラトニックラブに酔いしれている当事者がよく使うものですが、僕にはその天使という表現がどうも陳腐な響きに感じられるのです。
天使とは神の使いです。無垢で無邪気で純粋なイメージです。夫さんからすると、その女性はそういったイメージなのでしょう。でも、そんな女性いますでしょうか? その女性を見たことも話したこともない僕が言うのもなんですが、二十歳を過ぎて無垢で無邪気で純粋な女性はただの世間知らずか、中身のないお人形さんです。
恋とは、自分の思い込みを相手に押し付けるものですが、今回のようなケースは現実をありのまま受け取らず、何重にもフィルターをかけて見ているとしか思えません。
そして、27歳年上の既婚者に向けていう「好き」もリアリティーがありません。彼女は彼女で、夫さんに何かしらのイメージを見出しているのでしょう。典型的な例でいえば、父親像です。
父娘の関係に似た好意を寄せ合っているだけという事はよくあります。その場合、当然ですがセックスは求めません。恋なら相手を欲します。自分のものにしたいと思い、それが叶わなければ嫉妬や執着に苦しみます。一方、愛なら、相手をあるがままに受け入れ、相手をコントロールしようとすることなく、相手の幸せを願います。
夫さん達のは、愛ではないのはもちろん、恋ですらない。疑似親子ごっこをしているだけではないでしょうか。それは、知性や精神的成熟を身に付ける以前の状態の人に多い事例です。
それよりも、
今回の相談の本当の問題はあなたの気持ちが書かれていないところです。夫に好きな人ができたという状態を、客観的に捉えようとしています。当事者であるのだから何かしら感情の動きがあるはずなのに、そこの自覚がないようです。もしかしたらあるのかもしれませんが、それを言語化し自覚していくのを避けているのかもしれません。