脳梗塞で倒れた夫にがんまで発覚。病室で“夫の切ない一言”に号泣
二段階の告知に混乱!
えっ! ただでさえ混乱しているのに、演技をしろということですか?!
正直困惑しましたが、私は思わず「わ、わかりました」と答えてしまい……。それから病室に戻って再度呼び出しがかかるまでの間、私の精神状態は混乱を極めました。
夫には適当にごまかして世間話などをしながら、頭の中では「本当にがんなんだ」「ステージは?」「これからの生活はどうなっちゃうの?」「この人といつまで一緒にいられるんだろう」といった不安の渦がぐるぐるして、油断すると溢れそうになり、なんとか泣き出さないようこらえるので精いっぱいでした。そもそも、妻だけ先に伝えるこのシステム、意味ないですよね? 今でも導入しているのなら、ただちに撲滅してほしい!!
夫の切ない一言に号泣…
私はなんと声をかけてよいのかわからず「困っちゃったね……」と夫の手を握りました。すると「すいません……」と一言つぶやいたのです。私は彼のその言葉に、悔しさや悲しさ、情けなさ、そして私に対する申し訳なさなど、すべてに対する無念さを感じ、涙をこらえられなくなって思わず夫を抱きしめました。
夫も嗚咽を漏らし始め、大部屋の病室でしたが、人目をはばかる余裕などなく、そのまま2人で号泣しました。「なぜこの人がこんな目に遭わなければならないのか」と悔しくて悔しくてたまらなかったです。
その後、呼吸器科に移動し病理検査によって、肺腺がんのステージ3Bという診断が正式に下されました。すでに手術はできず、抗がん剤による治療を提示されました。ここから、脳梗塞のリハビリとがん治療の闘病生活が始まったのです。
とはいえ、今までの人生で一番つらかったと言ってもいいくらい、精神的に苦しい日々でしたが、今となっては闘病という共通の目標は、私たち夫婦の絆を深めてくれました。次回は、看病中に感じたさまざまな発見についてお伝えしたいと思います。
―シリーズ「私と夫の1063日」―
【監修・鮫島哲朗】
医学博士/日本脳神経外科学会専門医/日本脳卒中学会専門医
宮崎医科大学卒業後、同神経外科に入局。NTT 東日本関東病院脳神経外科主任医長などを経て、2013年に浜松医科大学付属病院脳神経外科に着任。
<文/関由佳>
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