ただ、『
週刊新潮』によれば、不倫相手の女性とはどうやら2019年2月にはすでに関係があったようだ。となると3年の結婚生活のうち、半分の1年半は不倫していたことになる。相手の女性とおぼしきSNSには「疲れたわ」などと嘆く記述が複数あるという。
つきあっている間に、既婚彼に新たに子どもができたことも彼女は知っているはずで、それでも別れはしなかったのである。
傷つきながらも別れられない、別れたくないと思っている彼女の気持ち、夫を信じて家庭を支えている妻の気持ち、彼はふたりの間をうまく行き来していると思っていたのだろうか。
このあたりに恋愛に不慣れ、女性に不慣れな男の緩(ゆる)さ、そして自分なら許されると思っている狡(ずる)さがかいま見える。
不倫を他人が断罪してはいけない。「奥さんと子どもがかわいそう」と思わず言いたくなるものだが、それは居酒屋や家庭のリビングで話すことがらである。今後のことももちろん夫婦で話し合っていくしかない。
とはいえ、である。相手も遊びだと割り切っているなら、それはそれで成立する関係かもしれないが、SNSにつぶやいた「疲れたわ」という言葉が、彼の不倫相手の本音だとするなら、罪な男だと思う。一方で、「わかっていてつきあっているなら嘆くな」と女性に対しても言いたくなる。
誰かからの噂で張り込まれたのか、誰かがリークしたのかはわからないが、有名人なのだからバレたらとんでもないことになるのはわかっていたはず。少なくとも、女性に「自分は不倫相手なんだ。それでも彼とつきあっていくことは私が選択したことなんだ」と納得させられなかったのは彼の罪である。4600円のホテル代に彼の意識が表れているのではないか。金をかければいいというわけではないが、「セコい」不倫は相手を傷つける。
不倫には最低限の不文律があると思う。
既婚側は相手をむやみに傷つけない、独身側は相手の家庭に踏み込まない。お互いの納得と敬意の上に成立しているからこそ、「不倫も恋のひとつ」なのである。
<文/亀山早苗>
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