どうして子どもをもちたくないのかと彼に聞かれ、カナコさんは必死に考えた。子どもが嫌いというわけではない。ただ、「育てる」ことなどできないと思っていたし、自分の人生だけを考えたかった。
「人から見たら身勝手な考え方だと思うでしょうね。でも子育てに自分が向いているとは思えなかった。できないとわかっているのに子どもをもったら、私も子どもも不幸です」
カナコさんが育った家庭は、いわゆる機能不全家族だった。父方の両親が同居していたため、母はいつも義父母に気を遣い、いびられていた。父はそんな母をかばうこともなく、ときに両親と一緒になって母に嫌みを言っていた。母のストレスはカナコさんへの八つ当たりという形で発散されていた。
「よく太もものあたりをつねられていました。音もしないから虐待しているとわからない。だけど太ももはアザだらけでしたね」

子どもをもったら自分もそんなことをしてしまうのではないか。そんな不安もあったが、実際にはそれ以前に「子どもをもつ」選択肢を消していたのだ。
「私自身、子ども時代のことはもう封印していたので、結婚前に彼に話すという発想もなかっただけなんです。そんな話もしましたけど、彼にはわかってもらえなかった。オレたちなら協力して子育てできるよ、と明るく言われて。ああ、こんなところに落とし穴があったんだなと困惑しました。
私自身が解決できずに封印してしまった昔の事実が、今になって引っ張り出されるとは思わず、妙に焦(あせ)りましたね」
その話はとにかく棚上げしたいと彼に話し、彼女は仕事に必死に取り組んだ。そしてつい最近、ようやくそのプロジェクトが成功裡に終了したのだが、ほっとしたのもつかのま、彼から離婚を切り出されたという。
「プロジェクト期間中は、彼にも迷惑をかけました。彼も子どもの話は持ち出さず、私を支えてくれた。コロナの影響もあって大変だったんですが、なんとかやりとげた。
彼、好きな人ができたのかもしれません。今まで支えてもらった分、今度は私が彼を解き放すべきなんだと思っています」
まだ結論は出ていない。だがどうしても子どもがほしい彼と、今でもやはりその件は考えられない彼女との間には、あまりに大きな溝(みぞ)ができている。埋めることは不可能だと彼女は言った。

結婚後のことを詳細に決める必要はない。だが、結婚後の人生のほうが長いことを考えれば、家庭のありようをどうするのか、子どもをもつつもりがあるのか、その程度のことはあらかじめわかっておいたほうがいい。
「子どもをもつのは当たり前だから」と一方が考えていて、もう一方はまったくほしくないと考えている場合、カナコさんたちのように溝を埋める術はみつからない可能性が高いのだから。
―シリーズ「
結婚の失敗学~結婚観・家族観のすりあわせを失敗」―
<文/亀山早苗>
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