現代は医療の進歩によりさまざまな抗がん剤がありますが、どうしてもその人のがんによって効きやすいものと効きにくいものがあります。もちろんある程度の指標はあるものの、最終的には「やってみないとわからない」という、まさに賭けのような状態。耐性ができて今まで使っていた薬が効かなくなり、新しい薬に替えるときは、毎回神に祈るような気持ちで行く末を見守っていました。

本当にがんサバイバーの生活は一喜一憂の繰り返し。
私たち夫婦は、落ち込むときは半分ずつ、喜ぶときは2倍というように、1つの事態を2人で受け止めていたように思います。効かない薬のときはどんどん体調が悪くなる印象で、病院で結果を見るたびに夫婦で肩を落としてしまいますが、ものすごく良く効く薬だったときは、副作用の激しい時期が終わると驚くほど元気になり、数値や画像に反映されると両手を挙げて思いっきり喜びました。
また、そもそも夫には脳梗塞の後遺症による失語症があり、うまく医師に思いを伝えることができなかったり、医師の言うことがよくわからなかったりすることがありました。そういった事態のためにも、いつでも私は夫の状況をしっかり理解し、一緒に受け止める必要があったのです。
幸いなことに、夫はかなりの楽観主義者で、どんなことも「どうにかなるよ」と思えるタイプ。脳梗塞の発症とがんが発覚し夫婦で闘病の覚悟を決めてから、私も夫を見習い、ポジティブな言葉を意識的に使うようになりました。「次があるよ」「今ならまだ薬を変える体力があるから大丈夫」とお互いを励まし合いながら一歩一歩進めたからこそ、闘病生活も明るく過ごせたと思います。
家族が病気になることは、不幸といえば不幸かもしれません。けれど、そんなつらい状況の中だからこそ、喜びは通常の何倍にも感じられます。
特に夫の誕生日は、今までとは比べ物にならないほどありがたい日に感じ、今日を一緒に生きていることだけでも幸せに思えました。

夫が大事に育てていた梅の盆栽
それ以外にも、家の盆栽の梅の木に花が咲いたことや、外出して洗濯物を濡らさずに取り込めたこと、近所の人気のケーキ屋でお目当てのお菓子をラスト1個で買えたこと、家の窓から寸分の曇りなく富士山が見えたこと……数えたらキリがないほど、毎日小さな幸せをかみしめていました。今考えれば、小さなことでも一つ一つ「幸せ」と感じられたのは、病気のおかげとも言えるのかもしれません。私たちは病気をきっかけに、たくさんの幸せも手に入れることができたのです。
しかし、そんな生活を2年半続けたところで治療が頭打ちに遭い、ついに闘病の終わりを意識する時期が訪れます……。
次回は、夫の死を意識したときの心境と自身の行動についてお伝えしたいと思います。
―シリーズ「
私と夫の1063日」―
【監修・明星智洋】
江戸川病院腫瘍血液内科部長/がん免疫治療センター長/プレシジョンメディスンセンター長
2001年熊本大学医学部卒業後、呉共済病院、虎の門病院勤務を経て、癌研有明病院にて血液悪性腫瘍およびがんの化学療法全般について学ぶ。その後2009年より
江戸川病院にて勤務。
<文/関由佳>
⇒この記者は他にこのような記事を書いています【過去記事の一覧】関由佳
筆跡アナリストで心理カウンセラー、カラーセラピストの資格も持つ。芸能人の筆跡分析のコラムを執筆し、『村上マヨネーズのツッコませて頂きます!』(関西テレビ)などのテレビ出演も。夫との死別経験から、現在グリーフ専門士の資格を習得中。
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