もう夫のがんは治らない…絶望の底で知った、死に寄り添うということ
筆跡アナリストで心理カウンセラーの関由佳です。夫のステージ3Bの肺腺がんが発覚してから約2年半、抗がん剤を中心に闘病生活を続けていましたが、ついに治療が頭打ちとなるときがきました。
【闘病中の生活について】⇒がんになった夫を支える妻が、闘病生活のなかで見つけた「小さな幸せ」
医師から積極的な治療をしない「緩和ケア」へ移行することを勧められたその日。私たちは病院を出てからお昼を食べに街へ向かいましたが、私はまともに会話ができず、気づいたら涙を流していました。それを見た夫も抑えていた感情があふれ出し、私たちは道端で大泣き。そのあと食べたものも全く味が感じられず、現実を受け止められないでいました。
がんが脳に転移し、確実に病状は進行していたものの、夫の様子にそこまで変化は感じられず「本当に打つ手がないのだろうか?」と思わせるほど。「もう少し時間はあるのかもしれない」と少々気楽に考えていたのですが、ほどなく事態は急転。夫の体調は坂道を転げ落ちるように悪化し、週単位で明らかに新しい症状が増えていきました。
日中は夫を気遣いいつも通りの日常を保つように心がけていましたが、病状悪化のあまりの速さに、夜一人で仕事をしているととてつもない不安に襲われるように。そしてついに「本当に夫は死んでしまうんだ」という現実を悟ったとき、地面が抜けるような、フリーフォールで落とされたときの瞬間のような、ゾッとした感覚を覚えました。このとき私は初めて本当の「絶望」という感情を味わったのです。
とはいえ、この感情を他人に話すにはまだ頭の中が整理しきれておらず、かといって家族に話すと必要以上に心配をかけてしまいそうでためらわれました。そして何より、言葉にすることで現実を突きつけられ、精神がそのまま崩壊してしまいそうで、とても言う気になれませんでした。
頭を抱えた私が藁にもすがる思いでたどり着いたのが、喪失に関する本を読む、ということでした。
そのときの私が最も恐れていたのは、「夫をちゃんと見送れなくなるほど心にダメージを負うこと」。なんとしても、できるだけ夫が悲しまないよう、私を心配しないよう、そして自分が悔いを残さないよう、しっかり看取らなければという使命感でいっぱいでした。
そのためには、まず自分の心のダメージを最小限に抑えることをしよう、と考え、夫が亡くなるとき、そして亡くなったあとにどんな状況になりどんな気持ちの動きが起こるのか予習をすることにしました。そのためには本だ!と私はいろいろと探し、2冊の書籍と出会ったのです。
夫の死を悟った感覚は、まるでフリーフォールで落とされたよう
心のダメージを最小限に抑えるためにしたこと
