チハルさんは、つい子どもを急かしてしまうことも多い。夫は「そんなに急がせなくてもいいじゃないか」というが、ぐずぐずしているのがどうしてもイヤなのだ。
「それでも出勤前はどうしたって焦ります。娘がイヤイヤしても、ばばーっと準備して保育園に連れていく。
そういうとき、夫はぼうっと見ているだけなんですよね。先回りしてゴミをまとめるくらいのことはしてよ、と思う。いちいち言わないとできないのか、と先日も怒鳴ってしまいました」
夫は「怖いなあ」とひと言。それがさらにチハルさんの怒りを誘う。だが、夫は近所でも評判の「いい人」なのだ。いい人は家の中では横暴だったりもするが、夫はどこからどう見ても「いい人」。それがわかっているだけに、最近、チハルさんは「自分がいけないのか」と落ち込むようになってきた。
「夫の“いい人さ”には、こちらがいけないことをしているのではないかと罪の意識を感じさせるようなものが含まれている。そう思うんですよね。夫と一緒にいる限り、私は“夫をいびる悪妻”みたいになってしまう。ストレスもマックスです」
家事も夫に任せるところは任せればいいのだが、チハルさんはそれもできず、すべてをひとりで抱え込んでいるようだ。
やはり自分と相性のいい人は彼ではなかったのかもしれないと彼女は感じ始めている。
「おっとりしているお父さんがいるのは娘にとってはいいことだと思うので、離婚はまだ考えていませんが、夫も私も自分を変えることはできない。どうしたら妥協点を見つけられるのかを考えていかないと……。
ただ、こんなにイライラしているのを、夫は自分のせいだと思ってない。私が勝手にイラついていると思っている。そこがまたムカつくんですが」
おっとりとせっかちが同居していくのは確かにむずかしいかもしれない。家事を分業、おたがいの領域には干渉しない。時間があるときは夫に任せ、見て見ぬふりをする。そんなふうにしていくしかないのではないか。
相反する性格であったとしても、うまくいくカップルはたくさんいる。実際、チハルさんだって、結婚前は彼のゆったりしたところに惹かれていたのだ。
ただ、結婚前によく見えた彼の性格が、結婚してみたら逆にネックになってしまうこともある。今、自分が望んでいることと結婚後の「日常生活」に必要なこととの間に乖離(かいり)があるのかもしれない。
当時、彼女が求めていたのは「癒やし」だった。それを彼は満たしてくれた。だが日常生活で彼女が必要としているのは、素早い判断力や行動力。彼はそれには適していないのだろう。
大失恋後など、正しい判断をしづらい時期での結婚決断は、少し時間をかけたほうがいいのかもしれない。
―シリーズ「
結婚の失敗学~結婚観・家族観すり合わせの失敗」―
<文/亀山早苗>
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