お姫様ではなく、かっこいい鬼婆になりたい2人の女性の物語/『ババヤガの夜』
王谷晶初の長編小説『ババヤガの夜』は、シスターフッド・バイオレンスという新しいジャンルに挑んだ意欲作だ。
雑誌『文藝』に掲載当初から話題となり、先月発売された単行本はさらなる反響を呼んでいる。SNSでは、映像化を望む声も多く見られる。
令和時代の新しいシスターフッド文学。生命力に満ち溢れた女たちの共闘の物語だ。
シスターフッドとは、もともと「女性同士の連帯」を意味する言葉である。
1960~70年代のウーマンリブ運動において、「女性解放」という目標に向けて団結した女性たちの間で使われていた。
現在、シスターフッドをテーマとした小説や映画が次々と生まれている。
親友というほど馴れ合わず、恋人というほどベタベタもせず、ライバルというほどいがみ合うわけでもない。
現代におけるシスターフッドとは、「ドライな距離感の女性たちが、一つの目標に向かって結びついている状態」なのではないかと私は考えている。
『ババヤガの夜』の主人公・新道依子の唯一の趣味は、暴力だ。鍛えることも楽しいし、勝っても負けても刺激的で面白い、と思えるような根っからの喧嘩マニア。
強い女の描写には、たいてい「強くなるきっかけとなった悲しい過去のストーリー」がつきまとうものだが、新道依子にはそうした悲壮感が一切なく、ただただ爽快だ。
歌舞伎町の乱闘シーンでの「一回は殴られておいたほうが面倒が少ないと思いそれをわざと顔に喰らった」という一文から、新道が殺されかねない状況を冷静に楽しんでいる様子が伺える。
短く的確な暴力描写がテンポよく続き、映像がありありと目に浮かぶ。監督とカメラマンと演出と脚本を同時進行でこなす作者の技巧に唸るばかりだ。気がつけば、読んでいるだけで手にじんわりと汗をかいていた。
腕っぷしの強さを買われ、新道依子は暴力団会長の一人娘の運転手兼ボディガードを無理矢理任されることになる。
父親に支配され心を閉ざした深窓の一人娘・尚子。この物語の2人目の主人公だ。
「女はこうあるべき」という理想を力づくで押し付けられ、鬱屈していた尚子。いじけたお嬢様のように見えて、実はかなり芯が強い。
ある事件をきっかけに、新道との距離がグッと近づくものの、馴れ合わず甘えもしない。新道と対等な立場で向き合うタフなお嬢様だ。彼女が和弓を使うシーンは、ハッと息を飲むほどかっこいい。