脱サラして売れない声優に転身、ある日消えた妻が残した“6文字のメモ”
「今思えば、あの頃が人生の絶頂だったかもしれません…」そう過去を振り返るのは柴田仁さん(仮名、30代男性)です。
地元の工業高校を卒業後、大手自動車メーカーに就職。事務の女性と大恋愛の末、結婚して2人の子宝にも恵まれました。仕事も順調で、20代後半には、複数の部下を抱えるまでに。
ただ、柴田さんには、諦めきれない子どものころからの夢がありました。それは、声優になること。
「モヤモヤした気持ちを抱えたまま毎日を過ごしていたある日、妻に相談したんです。最初はびっくりした様子でしたが、声優に対する思いや熱意を伝えると『私、応援する。人生1度しかないんだしチャレンジして』と言ってくれました」
妻からの思いがけない励ましもあり、柴田さんは、30歳で一念発起。12年間勤務した自動車メーカーを退社し、芸能事務所が経営する声優養成所に通い始めます。
「妻も育児が忙しい中アルバイトをして、家計を支えてくれていました。声優養成所を修了した後、運良く、マイナーではあるものの、何件かアニメ声優の仕事が舞い込みました。元々、アニメ好きだった妻もとても喜んでくれましたね」
しかし、“プロ”の道は、そう甘くなかったよう。喜んでいたのも束の間、やがて声優の仕事は、パタリと途絶えてしまったのです。
「妻と幼い子ども2人を養うため、オーディションへの挑戦や営業活動を続けながら、アルバイトを掛け持ち。妻も家事や育児の合間をぬって、スーパーで早朝の品出しバイトをしてくれていました。
そのため、子どもの送り迎えは、私の担当でした。ママチャリに2人の子どもを乗せて保育園まで送り、そのままファミレスのアルバイトへ。夕方には、アルバイトをいったん抜けて、保育園まで、子どもたちを迎えにいってました。
オーディションがあるときには、子どもたちを家に送り届けた後、そのままママチャリでオーディション会場まで向かうことも結構ありました…」
もちろん、これだけ身を粉にして働いても、会社員時代の収入には程遠く、柴田さん夫妻は夢に向かって忙しい毎日を送っていました。
「オーディションや夜勤で帰りが遅くなることも多かったですが、妻が用意してくれていた食事は、心の救いだったかもしれませんね…」
思い切って妻に打ち明けると…

アルバイトで生計を立てる日々

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