そこで、ピークを過ぎたアーティストにとって、どのように立ち位置を変えていくべきかという問題が浮上します。
ボブ・ディラン(79)やレナード・コーエン(1934-2016 カナダのシンガーソングライター。代表曲に「Hallelujah」や「Bird on the Wire」など)のように、死ぬまで曲を書き続け、それが社会的にインパクトを残せる例は、極めてレアケースです。大体は、ある程度のところまで来たら、あとは一歩引いて後進のサポートをするとか、作詞や作曲のノウハウをシェアするとか、自らの力を業界に還元するミュージシャンがほとんどでしょう。
たとえば、エルトン・ジョン(73)は早くから若手ミュージシャンのサポートに尽力し(ツバを付ける目的もあったでしょうが)、近年ではエド・シーラン(29)という大スターの発掘にも成功しました。さらに、自身の出身校である英国王立音楽院に奨学金も寄付しています。
紅白というちっぽけな舞台で…
アメリカのソングライター、ジミー・ウェッブ(74 代表曲に「MacArthur Park」や「By The Time I Get To Phoenix」など)は、『Tunesmith: Inside the Art of Songwriting』という書籍を残しました。この本自体が、長い曲作りの行程になっているという驚きの一冊。歌詞の語句のチョイスから、韻の踏み方、メロディの起伏や和音、ハーモニーの構成など、盛りだくさん。さらには、作曲家として生計を立てるための心得も説くなど、まさに決定版といったところ。
いずれも、あとに続く人たちのための公共財を残すことを考えているのですね。
「私のことだから」と張り切るユーミン。これが残念なのは、紅白というちっぽけなステージにおいて、さらに自身の価値を小さくしてしまいかねない発言だからなのだと思います。
往時の光が強烈だった分、なおさらさびしさが募るのです。
<文/音楽批評・石黒隆之>