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小さなセクハラ事件で植え付けられた「自分も悪い」という間違った感覚

 恋愛ジャーナリストのおおしまりえです。 女性の権利

「女性は性的な目で見られて当たり前」と諦めていた

 ここ数年で変わりつつある、性に対する考え方。その変化や女性の権利について、助産師のシオリーヌさんに3回に渡りお話を聞きました。  このテーマを扱うきっかけは、昭和生まれの私に根付く「性の常識」が古いのではないかという疑問からでした。きちんとした性教育を受け、自分の権利を知り、そして性的搾取やセクハラにはNOを発していい。そんな当たり前のことが当たり前ではなかったのです。  なぜ、「女性は性的な目で見られても仕方がない。我慢して穏便に対処するのが正しい」という誤った“常識”を持ってしまったのか。過去を振り返ると、幼少の頃のある事件が思い出されます。

子どもの頃のセクハラ事件を思い出す

 事件なんて物騒な言い方をしましたが、私が小学校1~2年生の時に起きた小さなセクハラ事件のことです。  その日、自宅から徒歩数分の距離にあるピアノ教室に向かっていました。季節は冬で、数日前に降った雪が道端に少し残っているような、とても寒い日でした。教室は大通りから1本入った人気のない住宅街にありましたが、いつも歩いているし昼間ということもあり、その日も危険だと思わず1人でスタスタと向かっていました。
小学生

※写真はイメージです(以下同)

 慣れ親しんだその道を1人で歩いていた時、20代中頃のお兄さんに声をかけられました。 「街中で出会った人や建物の撮影をしているから、きみの写真も撮らせて欲しい」  そんな風に説明され一瞬緊張したものの了承し、知らない人の家をバックに、直立不動でカメラにおさまりました。  何枚かシャッターを切った後、お兄さんは「ニコッと首をかしげてほしい」「体育座りになって」とポーズの指定をしてきました。次第に「体育座りした足を左右に開いて欲しい」と、さらに細かくポーズ指定をしてきたのです。  そのポーズを取ることで、私の足の隙間からは下着が見えしてしまいます。この時点でおかしさと恐怖でいっぱいなのですが、断ると相手の態度が変わる不安もあったため、「もう行かないとピアノに遅れる」などと言い、ヘラヘラしながら穏便にその場を後にしました。  今思えば変質者との遭遇であることが明らかですが、当時はその男性が悪い人なのか判断もできず、ただただ怖かったことを覚えています。
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気をつけていない自分が悪かったの?
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