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菅田×有村『花束みたいな恋をした』がヒット中。いつか枯れる恋の美しさ

「一般的なラブストーリーって、なんらかのカセや障害を作ることで面白くしようとするけど、恋愛の面白さってそこにあるんじゃなくて、特別なことが起きなくても、恋愛それ自体が面白いよねって思ってて、それを書いたんです」(公式パンフレットより)  菅田将暉と有村架純が共演して話題を呼んでいる恋愛映画『花束みたいな恋をした』は、男女ふたりの5年間を切り取り、「恋愛」というものの恍惚と枯渇、盛り上がりと盛り下がりをつぶさに追いかけた作品だ。 花束みたいな恋をした その脚本を務める坂元裕二は、公式パンフレットのインタビューで上記のようなことを述べている。恋愛というものは、なにも恋敵が現れて三角関係になったり、「ロミオとジュリエット」的作劇で壁を描いたりせずとも、それ自体がとても面白く興味深く、また難解だということ。  王道の恋愛ドラマにありがちな陳腐な設定を押しのけつつ、そうした「恋愛」のミステリアスな部分に鋭く切り込んでいるのが、本作品の魅力のひとつなのだと思う。

「好きなもの」の一致でつながったふたり

 菅田将暉演じる山音麦と、有村架純演じる八谷絹。2015年、互いに21歳(大学3年生)だった冬のある日、彼らはともに明大前駅で終電を逃し、偶然の出会いを果たす。  驚くべきは、彼らが「ほとんど同じ」人間であるということだった。話をしていると好きなカルチャー(それは押井守から始まり、映画、文学、演劇、音楽、漫画、お笑いと途切れることなく広がっていく)の趣味が笑ってしまうほど一致していたのだ。
映画『花束みたいな恋をした』より

映画『花束みたいな恋をした』より

「共鳴」「同類」「共感」といったスイッチがもし実体としてあるとしたら、それを互いに押し合うようにして急激に心の距離を近づけていくふたり。それは最終的に、麦の家の本棚を見て絹が漏らす「ほぼウチの本棚じゃん……」という興奮の滲み出たセリフに集約される。  まるで、元はひとつだった生き物がふたつに分かれたみたいに同じなふたり。そんな人を見つけてしまったなら、恋をせずにはいられなかった。

「恋愛のはかなさ」という一般論に着地するのではなく…

 予告編にも出ているので軽く内容に触れるが、本作の特異な点は恋愛の「はじまり」だけを描いているわけではないところにある。  ゴールインして最終話が終わる、結婚して幕を閉じる、という恋愛ドラマや恋愛映画は世にたくさんあふれているが、『花束みたいな恋をした』はそれだけでは終わらない。というよりむしろ、恋愛のかなり難しく暗い側面を描いていて、それが作品の少なくとも半分を占めている。
映画『花束みたいな恋をした』より

映画『花束みたいな恋をした』より

 恋に恍惚(こうこつ)する前半と、恋が枯渇していく後半――。「出会いは常に別れを内在し、恋愛はパーティーのようにいつしか終わる」。これは劇中の絹が愛読していたブログに書かれていた言葉だが、障害がなくともただ恋を続けることそれ自体がかくも大変なものであると、本作は伝えるのだ。  さらに本作が面白いのは、恋の枯渇がそうした「恋愛の儚さ」のような抽象的な一般論だけに収まらない点にある。彼らの恋が衰退していく背景には、具体的な原因があったのだ。
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「男らしさ」にからめとられていく・麦
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