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元ホームレスの女性ラッパーが語る壮絶人生「落ちてるタピオカ食べてた」

部屋を借りるという概念がなかった

 ラップを始めたなかむらさんはクラブで活動するようになります。そして、ますますラップにのめり込んでいくのです。その間も、二十歳過ぎまで知人の家や寮付きのキャバクラで働いたりして、拠点を転々とする生活を続けていました。 「もう二十歳なんだから、ある程度お金を貯めれば部屋を借りられるじゃんと普通の人は考えられるかもしれませんが、当時の私は部屋を借りるという概念自体がなくて頭が回っていませんでした。  私はホームレス代表ではないと思うんです。ホームレスになる人は、人それぞれ理由があるのだなと最近思っています。ホームレスというと高架下などでダンボールで雨風をしのげる場所を作ってそこを拠点に生活しているイメージがあると思います。そしてあの人たちには一人ひとり事情があって、定位置のようなものがあります。私はそこには行きませんでした。定位置を決めず、いろんな場所で1~2日寝る感じです」  このように、二十歳までホームレスを続けたなかむらさんですが、今はきちんとシェアハウスを借りて住んでいるそうです。

母親のために頑張っていた音楽活動

 当時のなかむらさんの夢はラップで紅白歌合戦に出てお母さんに喜んでもらうことでした。しかし、ある日携帯に非通知で電話がかかってきて、出てみるとお母さんだったそうです。ところが、お母さんは依存症から回復するどころか悪化しており、話していることが支離滅裂でした。 「それまではお母さんのためにラップで有名になって紅白歌合戦に出ることを目標としていたのですが、何を言っているのかわからないお母さんの声を聞いた途端、その目標はなくなりました。私は何のために頑張って音楽をやっていたのかと」
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今の夢はある?
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