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「セクハラやパワハラに、なぜ嫌だと言わないの?」と思う人に伝えたいこと

 過去に受けたセクハラやパワハラを明かす人が、少しずつ増えている昨今。それに対して、「なんで今さら?」「なぜそのときノーと言わなかった?」という声が必ず上がります。特にセクハラは、そのとき黙っていると「嫌がってなかった」と誤解されたりします。
落ちこむ女性

画像はイメージです

 でも、ひどい扱いに対して「怒る」ことは、誰もができるわけではないのです。DVやブラック企業を体験してきたフリーライターの吉川ばんびさんが、「怒れない」気持ちを綴ります(以下、吉川さんの寄稿)。

ひどいことをされた、と認めるまでに時間がかかる

 覚えている限りでは昔からそうだったのだけれど、私の怒りはいつも遅れてやってくる。「これ、怒っていいのでは?」と思うのはだいたい事が起こってから時間が経ち、最悪の場合、数年経っていたりもするので、怒りゲージがMAXに達して文句を言いたいときには相手との縁が切れているか、今更になって蒸し返すのもいかがなものか、と自分でも思ってしまうほど怒るタイミングを逃し続けている。  仕事関係の飲み会で隣に座った男から太ももをひたすらに揉み続けられ、抱きつかれ、体の色んなところを触られた日ですら、私は「え……ちょっと……」くらいしか言葉を発せず、なぜか男性たちがギャハギャハと笑っている空気を壊してはならない気がして、強く抵抗できなかった。朝、始発の新幹線に乗って帰路につきながら、悔しくて悔しくて涙が止まらなかったのをよく覚えている。
吉川ばんび

吉川ばんびさん

 あれから3年ほど経った今なら、あの男の顔に酒を浴びせてやればよかったとか、いっそぶん殴っておけばよかったとか後悔の念が次々と湧いて出てくるのだが、どうしても「その場」「そのとき」に怒りを爆発させることができないでいる。

自己肯定感の低さ、自信のなさがカギ

 こうした経験をなんども繰り返しているうち、おそらく人間が「怒り」の感情を持てないことや、怒るまでにタイムラグが発生する要因には、自己肯定感や、自分に自信を持つことが大きく関わっているように思えてきた。  まさに自分がそうであるが、私は自己肯定感が低く、自信もないため、その瞬間に自分が感じた”感情”そのものにさえ、自信が持てない。だからこそ、トラブルに巻き込まれている最中には他人の顔色ばかり気にしてしまって、そもそも「これは怒っていいのでは」というような「自分の意見や不快感を主張する」発想や選択肢すらなく、感情は後回しに、その場をやり過ごすことを最優先にしてしまう。そういう悲しい生き方をこれまで、三十年近くくり返してきてしまった。  幸い最近は、ある程度の社会経験や修羅場をいくつもかいくぐってきた成果のおかげか、人並み程度の自信を持つことができるようになった。私は生育環境が悪く、家庭で親からの虐待や兄からの家庭内暴力があったため、自己肯定感はほとんどないも同然のまま大人になってしまった。
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怒れない私を守ってくれた先輩女性
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