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“眞子さまの乱”どころじゃない「恋を優先させた天皇たちの100年」原武史さんに聞く

皇室内外から反発された上皇陛下の結婚

 現在の上皇陛下の結婚は、周囲から大反対を受けた。1957年、軽井沢のテニスコートで当時、日清製粉グループ会長だった正田英三郎氏の長女、正田美智子さんと出会った皇太子はテニスを通じて親交を深める。よほど惹かれたのだろう。結婚したいと考える。  ところが皇室内外から「平民とはけしからん」という声が上がった。母の香淳皇后(昭和天皇の后)や他の(元)女性皇族も強く反発した。つまり、姑は「平民を嫁にしたくなかった」のだ。 「先ほど言及した鍋島伊都子は梨本宮と結婚して皇族の一員になり、戦後は臣籍降下しましたが、皇太子の婚約が発表されたときには、日記に『日本ももうだめだと考えた』と書いています。昭和天皇同様、どんなことをもはねのけるだけの強い気持ちが、明仁皇太子にあったんでしょうね」

「私より公を優先させる」「国民のために祈り続ける」平成皇室

 そして一般国民からは圧倒的な支持があった。ミッチーブームが起こり、世間は彼女の美しさと聡明さに酔いしれた。 「結局、恋愛感情が強ければ誰にも止められないということです。もちろん、結婚してからも美智子妃は第二子を流産するなど、大変だったのは周知の事実ですが、それもふたりの愛情があったから乗り越えられたんでしょう」  美智子妃は、因習にとらわれていた皇室を少しずつ変えていった。上皇も天皇になってから「象徴天皇のありよう」を模索し続けた。そして生まれたのが「私より公を優先させる」「国民のために祈り続ける」という方式だ。 「私たちの脳裏には、令和になってもまだ平成の皇室の姿が色濃く残っています。まさにそれが眞子さんや秋篠宮家へのバッシングにつながっているように思えます。女性宮家の設立が検討される前に小室さんと結婚して渡米しようとしている眞子さんの行動は、皇室の存続という『公』よりも個人の幸せという『私』を優先させようとしているようにも見えるからです。 しかし先に話したように、昭和天皇ですら、色覚異常の遺伝子が入ってくれば『万世一系』に傷がつくという『公』の論理よりも、自らの恋愛感情という『私』を優先させて良子と結婚しました。眞子さんは、『昭和天皇実録』などを読むことを通して、こうした過去の事例を学んだのではないでしょうか」
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平成皇室のイメージと違う眞子さまへのバッシング
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