痛そう…63歳マドンナ、亡き母を偲びタトゥー「今度は私が血を流す番」
60代になっても、とにかく元気な世界的歌姫マドンナ。毎日午前4時に寝る夜型生活を続け、テレビやSNSで過激な言動を繰り返しては、相変わらず世間をざわつかせている。2年前にはタトゥーデビューも果たしたマドンナが、このたび亡き母親を偲ぶタトゥーを入れることを決意、手首に刻印される様子を公開した。
マドンナは今週、亡き母マドンナ・ルイーズ・チッコーネさんを偲び、フランス語で母親を意味する「maman」という言葉を右の手首に刻んだ。
その様子をとらえた動画をインスタグラムに投稿したマドンナは、時折痛みにたえるような表情を浮かべつつ、こうコメントしている。
「これは私の母のためにしているの」
「だって子供を産む時にどうなる? 出血するのよ」
「全ては繋がっているの」
また、様子を見に来た16歳の息子デヴィッドに対して「お母さんの名前を入れるわけにはいかないの。私の名前と同じだから。自分の名前を自分の腕に入れたと思われるでしょ!」と説明している場面も。
そしてタトゥーが完成した際には、カメラに向かってこうつぶやいている。
「私の母は私のために血を流した。だから私は彼女のために血を流しているの。ファミリー・アフェア(家族内の事)よ」
マドンナは、この投稿に「今度は母のために私が血を流す番」とキャプションをつけている。
フランス系カナダ人だった母マドンナ・ルイーズ・チッコーネさんは、マドンナが5歳の時に乳がんで死去。まだ30歳という若さだった。
大好きだった母を亡くし、深い悲しみを経験した幼き日のマドンナ。しかし、「自分がしっかりしなきゃ!」と自身を奮い立たせ、進んで家事を担当し、兄弟の世話を積極的にしていたという。しかし、ほどなくして父親が再婚し、マドンナは父やその再婚相手に反発心を抱くようになったといわれている。
19歳の頃には、わずかなお金を持って長距離バスに乗り込み、生まれ故郷のミシガン州を後にした。大スターを夢見ていたマドンナはニューヨークに移り住み、ダンサーをしたり、ときにはヌードモデルをしたりしながら、ポップ歌手を目指すように。ファーストアルバムを発表した後は、ヒットを連発し、その名が知られるようになった。ちなみに、1989年にリリースした『Promise To Try』『Oh Father』は、母の死や父親との確執などによる心の葛藤を歌った作品といわれている。
私は母のために血を流しているの
大好きだった母は5歳の時に死去
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