エリザベス女王の国葬に見る、抑えたファッションの優雅さ
イギリス紙The Telegraph電子版が「女王の国葬における参列者の装いは我々に静謐(せいひつ)な威厳とは何かを教えてくれた」(The fashion on show at the late Queen’s funeral was a lesson in quiet dignity」Lisa Armstrong 2022年9月19日 以下全て筆者訳)という記事を掲載していました。
コラムを書いたリサ・アームストロング氏はテレグラフ紙ファッション部門のトップ。参列者のブラックで統一したクラシックな装いについて論じています。
ロイヤルファミリーとメーガン妃はもちろん、皇后雅子様、マクロン仏大統領のブリジット夫人やニュージーランドのアーダーン首相に至るまで、奇抜なデザインの服は誰も着ていませんでした。
そのかわり、丈(たけ)の長さやシルエット、そして帽子とかアクセサリーなどの小物でわずかな違いを生み出していく。各々が歴史的な重みとプロトコルを理解したうえで自らを抑えたファッションで臨んでいたと論じているのですね。
けれども、本質はファッションではないとしてアームストロング氏はこう結論づけています。
<心のこもった仕草、見事なジュエリー、そしていまだかつてないあふれんばかりの優雅さ。たしかにファッションショーではありませんでした。でもこれが今後の葬儀における新たなスタンダードになったとしても驚かないように>
抑制された服装が心からの哀悼(あいとう)の意を如実に映し出した。それこそが女王の国葬にふさわしい荘厳さを生み出したということなのです。
そう考えると、明らかに他人とは異なる三浦氏がいかに突飛な存在だったかがわかると思います。世間が抱く国葬への懸念が、スタンドプレーとも言える三浦氏の服装にあらわれてしまったかのようです。
その身なりから伝わるのは、国葬への出席が“私の晴れ舞台”であるという自我です。もちろん三浦氏は決して認めないでしょう。しかし、常識ある世間の目はごまかせません。
三浦瑠麗氏が着用したと思われるアレキサンダーマックイーン Alexander McQueenのドレス ¥364,100(画像:YOOX販売ページより)
スケスケ喪服姿でネコをあやすポーズを決めるインスタから、多くの国民は“やっぱ内輪向けイベントだったんだな”との感想を抱いたことでしょう。なぜなら、この写真の構図からは悲しみではなく気分の高揚が伝わってくるからです。ブロマイドでも撮影してるのかと。
エリザベス女王の国葬において、そのような立ち居振る舞いをした人物はただの一人もいませんでした。あのメーガン妃でさえも。