「家でちゃんとやらせなければいけない」プレッシャー
――小学校1年生の5月に「学校に行かない」と言うようになったもっちんくんが、学校をお休みするようになってから大変だったことは何だったのでしょうか?
今じんこさん(以下、今):学校を休む日の朝、欠席の連絡をすることがつらかったです。この件について本では2コマにまとめたのですが、実際には「5ページ描ける」と思ったくらい自分の中でいろいろな思いがありました。
――学校に欠席の連絡をする時には、どんなつらさがあったのでしょうか?
今:学校に電話をして「すみません、今日は休ませます」と謝ることで、だんだん子どもを否定しているような気持ちになっていきました。自分でも「悪いことをしているわけじゃないのにどうして謝っているんだろう」と思いながら、「先生に迷惑をかけているのかな」という気持ちがあって、毎回謝っていました。連絡をする度に毎日のように子どもや自分を否定している気持ちになるので、どんどん自己肯定感が下がっていきました。
今は、学校を休むことは謝るようなことではないと思っていますが、連絡すること自体負担は大きいです。当時は私が電話で謝っているのを聞いている子どももつらかったと思います。
――学校を休む日は、家での過ごし方で悩むこともあったのでしょうか?
今:学校に行っていないと親が全部を背負わないといけないと思い込む親御さんは多いと思うし「ちゃんとやらなきゃ」とプレッシャーを感じがちです。私の場合も、家で学校の時間割通りに勉強させようとしたり、なんとか宿題をさせようとしてストレスを溜めていました。
学校を休ませていると周りから同情やアドバイスなど、いろいろなことを言われるので、「家でこんなに頑張っているので大丈夫です!」とアピールすることで武装するようになっていました。
――学校がしんどいから休んでいるのに、プレッシャーを感じながら家にいるのでは休むことが難しいですね。
今:学校に行くよりはマシというだけで、全然休まらないです。「骨折しているのに、筋トレはずっと続けている」みたいな状態だと思います。

※イメージです
――行きしぶりの対応として「休んでもいいよ」という親の声掛けが、子どもにとって逆にプレッシャーになってしまうことが描かれていました。
今:「休んでもいいよ」と言ってあげればOKと思っている親御さんも多いのですが、「親にそう言われていた時期が1番つらかった」というお子さんの話も聞いたことがあります。親は子どもに選択権を与えているつもりでも、その言葉の裏に「そうは言っても本当は学校に行ってほしい」という親の圧力を子どもは感じ取るからだと思います。子どもは親の顔色を見て本当の気持ちが分かってしまうから、苦しくなってしまうことがあります。
――では、子どもが「学校に行きたくない」というサインを出したら、どう声掛けすればいいと思いますか?
今:「学校に行きたくない」は命に関わる子どものSOSです。一様に簡潔に答えられる質問では正直ないのですが、命がかかっていること前提で言うと、本人が「行く」というのを待って、こちらからは何も問いかけないくらいでいいと思います。
学校に行くのは義務ではなく子どもの権利です。本当に本人に任せるなら「行くの? 行かないの?」とは聞かないですよね。大人だって行きたい場所があったら、「行く?」と聞かれなくても勝手に行きます。行くかどうか聞かれたら、親に喜んでもらうために「やっぱり行く」と言って、命が危ぶまれるまで無理をしてしまう子もいるんです。
――本書ではコロナ禍で子どもたちが感じたストレスのことも描かれていましたが、コロナ禍は不登校に関係があったのでしょうか?
今:コロナの影響で不登校が増えたという報道もありますが、的外れだと感じる当事者もいると思います。マスクをしなければならなかったり、行動が制限されたり、学校生活がより苦しくなった要因ではありますが、不登校の子たちから「学校に行かなくなったのはコロナのせいじゃないのに」という声をよく聞きます。
コロナで休校になったことで、オンラインでも勉強はできることや、学校以外でも友達と遊べるなど、学校に行かなくても成り立つんだと気づくきっかけにはなったと思います。コロナのストレスが原因というよりは、親も子どもたちも「学校は絶対じゃない」と分かったというのは大きいと思います。