NHK『どうする家康』の“BL描写”をやたら批判する人たちの勘違い
どうもBLドラマに対する誤解というか、無理解が目についてしまう。
松本潤が、徳川家康を演じる大河ドラマ『どうする家康』(NHK総合、毎週日曜日よる8時放送)のBL描写が、ネット上で騒がれている。つぶさに確認してみると、危うい意見もかなり多く……。
「イケメンとBL」をこよなく愛する筆者・加賀谷健が、その是非を問いながら、本作で描かれるBL描写を解説する。
今年の大河ドラマ『どうする家康』の視聴率が伸び悩み、議論を呼んでいる。さまざまな推測がネット上を駆け巡っているのだが、原因の矛先は、あらぬ方向へ。
なんと、本作のBL(ボーイズラブ)演出が、その要因だという意見だ。普段から、BL的な妄想には余念がない筆者だが、これはさすがに見当違いもはなはだしいと感じた。
このBL演出が、“一部のファン”(腐女子)が支持するものという内容なのだが、これは不確かな表現ではないだろうか。BL文化が、これまで多くの腐女子の眼差しや自由で豊かな想像力によって支えられ、育まれてきたことは、事実である。でも今や、BLを語る文脈は広い。一部なんてことはなかろうに。
例えば、KADOKAWAのBLレーベル「トゥンク」とMBSがタッグを組み、BLドラマだけを放送する「ドラマシャワー」枠の存在はどうか。2022年4月から1年限定でスタートしたが、好評につき2023年度も継続している。
こんな画期的な放送枠を新設したことに、BLにやっと時代が追いついた感じがしたし、これは紛れもなく革新的な試みだ。だから、BL的な演出を求めるのは、「一部」では決してなく、むしろ視聴率を上げるポテンシャルですらある。
はたまた、BL的な要素を感じる描写について、LGBTQへの「配慮」という見方もある。BL世界をこよなく愛する筆者からすると、こうした見解にもやはり首を傾げてしまう。
そもそもBLとは、必ずしも現実のLGBTQ文脈では、語りきれないところがある。BLが、男性同士の恋愛を描くからといって、それをLGBTQの「G」であるゲイ的なものだと決めつけてしまうのは、いささか乱暴というか、早計だと思うのだ。
高山真の同名小説を原作に、鈴木亮平と宮沢氷魚が見事なゲイ像を体現した『エゴイスト』(2023年)は、BLではなく紛れもない「ゲイ映画」だった。
同作を現今のLGBTQの文脈で読み解くのは当然可能だし、あの作品世界には、当時のゲイ界隈を生きた作者の実体験が自伝的に込められてもいる。ゲイ映画と現実のLGBTQは、確かに不可分な関係性にある。
対するBL世界では、そこまで現実の社会状況をダイレクトに反映させる必要性をあまり感じないのが、筆者の持論だ。BLとは、もっと夢の世界に近い感覚。よりフィクション性が強い。
例えば、現在のBL文化に深い影響を与えた漫画家の萩尾望都が、創作態度としてきた「ここではない、どこか」は、まさに夢の世界へも憧れではないか。

NHK『どうする家康』サイトより
視聴率を上げるポテンシャル
BLとは、夢の世界に近い

©2023 高山真・小学館/「エゴイスト」製作委員会
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