NHK朝ドラ『ブギウギ』子どもの無謀な夢に「いけいけ!」と言える?理想的な親の姿勢を考察
「毒親」「親ガチャ」……これらの言葉は、もう死語だろうか。
言葉はなくなっても、概念は消えない。勉強したいことがあっても、行きたい学校があっても、親の反対によって未来を閉ざされる子どもは、いつの時代にもいる。
趣里主演の朝ドラ『ブギウギ』が放送中だ。1週目では、幼少期の鈴子(演:澤井梨丘)が「花咲(花咲音楽学校)に行きたい!」と夢を見つける。入団するには試験も必要で、入った暁にはお金もかかる。それでも、両親はすぐさま「行け行け!」とGOサインを出した。
『ブギウギ』から、理想的な親の姿勢について分析したい。
「これといった趣味がない」「とくにやりたいことが見つからない」。
世代で人をくくりたくはないけれど、夢や目標、趣味さえないと嘆く若い人たちの姿は想像しやすい。原因の一端を想像すると、幼少期に親から「選択肢を制限」された経験がある、と考えられないだろうか。
外で遊ぶよりも室内でお絵描きをしたい。あの子と一緒に水泳を習いたい。〇〇学校よりも〇〇学校に行きたい。子どもの本音や欲はまっすぐだ。まるでピンと張った糸のような希望は、親からの「ダメ!」「やめなさい!」「こっちにしなさい!」の言葉でどんどんねじれ、原型をなくしていく。
そのうち、子どもはこう考える。「どうせ言っても聞いてもらえない」「主張したとおりにはならない」。そして、面倒ごとを避けて通る要領で、ハイハイと親の言うことを聞くようになる(か、反発しまくるか、どちらかだ)。親の顔色をうかがうのが当たり前になると、いつしか「あれ? 本当は何がしたいんだっけ?」と迷子になる。
その点『ブギウギ』の鈴子は、何よりも“歌を歌うことが好きだ!”と気づいた勢いで「花咲音楽学校に行きたい!」と主張。その瞬間、手放しで「行け行け!」と背中を押した両親には、逡巡がなかった。
子どもの可能性を制限しない、親として理想的な姿勢だと感じた視聴者は多かったのではないだろうか。
子どもの可能性を制限しない
子どもの可能性を尊重する理想の親
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