超エリート灘高生が女子大生と学ぶ性教育を、ネットで“合コン”と揶揄。背景に「男子校への偏見」か
それは、10代の子どもにとって怖いことだろう。性、ジェンダーについて学び考える場では、異性のグループがいないほうが発言しやすい、リラックスして参加できる、そして身につきやすいこともある、というのは想像にかたくない。
「全国の学校で性教育の講義をしている方のお話では、男子校では講義中のリアクションがいいそうです。一方、共学では男子がずっとうつむいて聞いている。特に恋愛や性の話となると、同じ空間に恋愛対象がいたり、もしかするとフラれたばかりの相手がいたりするので、リアクションしにくいんでしょうね」
もちろん、性別を区別せず一緒に取り組むからこそ得られるものもある。灘高の授業では、男性と女性が対話することで、双方にとって学びの場となった。ここでは、灘高生からすると「ちょっと年上の」女性、というのが肝だったのだという。
「塾や予備校の、チューターのような存在ですね。少し前に受験勉強をしていた先輩が『自分のときはこうだったよ』と教えてくれる。先生と違って絶対的な上下関係がないから、生徒も自分に引き寄せて考えたり、違いを見つけたりできる……性、ジェンダーの話は、距離が近すぎる相手とはしにくいものですよね」
ちょうどいい距離感を考えての、大学生だった。これは授業を担当した教員が考えに考えて出した案なのだそう。つまり、大人も真剣なのだ。
取材をはじめる前から、おおたさんには目算があった。性、ジェンダーに関する授業では、大人の意識が変わっていくはずだと。子どもにどう伝えるのかを考えたとき、大人も自身の意識と向き合わなければならない。
「記事が引き起こしたハレーションも、そのひとつだと思います。子どもたちがこんな授業をしていると知るやいなや、幼稚なところがあぶり出された大人がいる。その人のなかにある思い込みや、気づいてないことが可視化されたってことですよね。だからどんな反応でも、うれしく読みましたよ」
SNSでは、この取り組みを揶揄する投稿に、実際に授業を受けた灘高生が皮肉をまじえて苦言を呈する展開も見られた。結果、投稿した側の幼稚さがさらに際立った。

ちょっと年上、の効能
それは、大人でも共感できることではないだろうか。 「実際、共学の高校での勤務が長いある教員は、このような授業はふだん顔を合わせるクラスメイトの男女ではむずかしいのでは?と言っていました。SNSでは“灘高を共学にすればいい”みたいなコメントもありましたが、そんな単純な話ではありません」
大人も向き合わなければならない
