
濡れた楽譜。水には錆、ほこり、糸くず、砂などが混ざっていたという(2022年9月24日)
「水と音の恐怖です。ホール内に反響する降水音の記憶が残り、しばらくシャワーを浴びることが怖かったという楽団員もいます」
ホール内で反響する水圧の凄まじさによる音の記憶がトラウマとなり、心的なストレスが日常生活を侵食し続けているのだ。

舞台上部から降った水がバケツに溜まった様子。水は茶色い(2022年9月24日)
「私自身、楽器ケースを開けると事故のことを思い出します。事故後もさまざまなホールでさまざまな演奏会に参加していますが、行く先々で、『今日は大丈夫かな』『今日は降らないかな』と常に不安に思いながら演奏を続けることがストレスです」
これは、経済的な補償云々以前の問題ではないだろうか。彼らはいつ癒されるかも定かではないトラウマを抱えながら音楽活動をしなければならないのだ。
もし仮に裾野市からの謝意があれば、多少なりとも心のケアになったかとたずねると、植田さんは「絶対に変わりました」と語気を強める。

普段のオーケストラの様子。第75回定期公演(2023年10月5日)
クラシック音楽をこよなく愛する筆者として残念に思うのは、公演の第一演目として予定されていたブラームス「交響曲第二番」が演奏されなかったことだ。水音の恐怖ではなく、ホルンによる穏やかな第一主題がホール内に響いていたら、どれだけ素晴らしかったことだろうか。
植田さんが「富士山の裾野が広がっている景色とブラームスの田園交響曲と言われる雄大な響きがマッチするのではないかと思った」と明かした裾野市に因む選曲理由を考えると、やるせない気持ちになる。
しかも、文化ホールでの自主公演を大々的に行うことが予算上難しくなっている昨今、裾野市では10年ぶりのオーケストラ公演だった。それだけに貴重な公演機会が失われたことは、裾野市にとっても大きな損失であったはずだ。
静岡県では1996年にも「アクトシティ浜松」の中ホールでスプリンクラーが誤作動し、パイプオルガンが水浸しになった。裾野市での事故もすでに1年前の出来事となる今、過去から何を学び、再発防止策が講じられるのか。「教訓として世の中に認知させていきたい」と語る植田さんの言葉の意味は重い。
裾野市は2023年8月、和解金の支払いに向けた協議に入ることを楽団に要請。楽団側は「話し合いの席に着く」意向を示している。
「応じるかは提示される内容次第です。それが私たちとして受け入れられないものであれば訴訟を起こすことも考え、準備しているところです」
先行きが見通せない状況はまだ続きそうだ。