NHK『大奥』、母の愛を自分のものにしたかった和宮と、正気を失い始めた毒親の切ない皮肉
シーズン2に渡って放送されてきたNHKドラマ『大奥』が、いよいよ終わりに近づいた。
5日に放送された第20話では、14代将軍・徳川家茂(志田彩良)が、徳川のため、世のために身を投げうち、もっとも大切な和宮(岸井ゆきの)のもとに帰れぬまま、大阪城で息を引き取った。
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「空蝉の唐織ごろもなにかせむ 綾も錦も君ありてこそ(このきれいな唐織衣も、あなたがいない今、何の役に立ちましょう)」は、実際の和宮が残した有名な和歌。20話ラストでの和宮の姿は、物語の世界を通して、150年以上前に詠まれた女性の本当の胸の痛みを伝えるようだった。
公武合体のために徳川へと迎え入れられた和宮だったが、降嫁したのは弟の身代わりになった和宮=親子(ちかこ)だった。しかもそれは、母の愛を自分のものにしたかった和宮の願いから始まったものだったが、真相を知ってなお、家茂は和宮に優しく接する。そんな家茂を、和宮も受け入れていく。
一方、母・観行院(平岩紙)は、息子に会いたいあまり、正気を失い始めた。やがて和宮の願いにより、江戸を離れることになるも、最後まで娘に愛情を注ぐことはなかった。観行院は、娘を愛せない親だった。和宮の本当の名が、親子というのは、なんという皮肉なのだろうか。
しかし彼女には家茂がいた。和宮が「上さん、私、京に戻ろかて思うねや」と話した際、いつも笑顔の家茂が、帝の御宸翰(ごしんかん:天皇自筆の文書)を手に「開けなさい!」と珍しく声を荒げた。「宮さまと一緒にいるために」いただいてきたのだと言いながら。そして和宮は、自分にとっての“光”なのだと改めて伝えた。
和宮は、家茂に、自分では“本当の夫婦になれない”と、ずっと気にしていたが、家茂はそうした常識をふわりと超えてしまう大きさを見せる。家茂は、和宮こそ、ともに生きていきたいパートナーなのだと確信していた。自分に向けられた嘘のない強さに、和宮も共鳴していく。
しかし政局は少しも静まることなく、家茂は上洛を重ねることになる。
150年以上前に詠まれた和宮の胸の痛みがドラマを通じて伝わる
和宮の本当の名が、“親子”だという皮肉
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