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NHK『大奥』、母の愛を自分のものにしたかった和宮と、正気を失い始めた毒親の切ない皮肉

家定や家茂は、今の時代の私たちより先を行くリーダー

大奥(C)NHK

大奥(C)NHK

パート1では、泰平の世を続けていくためにと、徳川の血を継いでいくことが何よりの是とされた。そして女将軍の世が続いたのち、パート2では、赤面疱瘡という疫病を根絶。男女の役割が逆転することになった。 周りは男たちが固めた中で、上に立った女将軍である家定(愛希れいか)や家茂は、「世を治めるのが徳川である必要はない。その時々に、治めるにふさわしいものが治めればよい。そして能力があれば、性別も年齢も関係ない」と考えていた。しかも、20話で大阪城にて倒れた家茂は、勝海舟(味方良介)を前に“大政奉還”への考えを語っていた。 徳川の血に縛られているように感じる部分のあった『大奥』の物語だが、家定や家茂は違う。今現在の私たちよりも先に進んだリーダーだ。

家茂は、会いたい。親子さまに会いたいと。

だが、家茂と和宮が近づいていく様子に、リーダーとしてより前に、家茂自身の幸せを見つめて欲しいと願わずにはいられなくなる。 家茂にとって“光”だという和宮が、自ら光を発し始めたのだから。月のものが無くなっている家茂に、草履を用意して「散歩でもしません」と声をかけ、脚気を患い倒れれば「(豚肉の料理を)食べた? 上さん、これ食べた?」とかいがいしく心配する。そして、家茂の最後の上洛の際、「行かんといて。お願い。頼むし」と必死に懇願した。それは自分が辛いからではなく、何より家茂の身を案じていたから。 それでも“おせっかい”な家茂は、帝のもとへと向かった。そして大阪城で薨去(こうきょ)したのだった。享年20歳(数え年で21歳)。 家茂、最期の様子を聞く和宮と、家茂のその様を見るのは、本当に辛かった。「死にたくない。こんなところで。宮さまと約束したんだもの」と息も絶え絶えに、胸をかきむしりながら家茂が声を絞る。「会いたい。宮に会いたい。大奥に帰りたい。親子さまに会いたい」と。
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和宮と家茂は魂の伴侶だったに違いない
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