
吉田いらこ『夫がわたしを忘れる日まで』(KADOKAWA)
――吉田さんのお母様が、お父様を看取るまで何十年も大変な介護を続けられたのはなぜだと思いますか?
吉田:愛情もあったと思いますが、責任感も強かったのだと思います。
母は当時のことを「幸せではなかった」と言っていました。でも、「好きになって結婚したのだから、最後まで私が看る」という使命感があったんだと思います。
――主人公は、ラストで夫との関係についてある選択をします。どういう思いで描かれたのでしょうか。
吉田:一度は「辛いな」と感じても、好きで結婚したのだから「しんどくても頑張ってみよう」と前向きに思い直す姿を描いてみようと思いました。現実では、なかなかこうはいかないかもしれません。
――読者からは、どんな反応がありましたか?
吉田:執筆中は読んだ方にどう思われるのか、「もっと綺麗な物語にした方がいいのかな」と少し怖い気持ちがあったんです。「こんな話を描いてひどいじゃないか」と厳しい意見があるのかなと思っていました。
でも意外に「分かります」という声をたくさんいただいて驚きました。若い方からも「祖父母が同じ状態でした」と言ってくれる方が多かったです。
メッセージをくださるのは女性が多かったですね。介護を経験するなかで、傷ついた経験がある人は多いんだなと思いました。
病気の人を支える家族がもっと楽になれたらいいなと思っています
――ご自身の経験を振り返って、介護をする家族にとってどんなサポートが必要だと思いますか?
吉田:できれば、介護から距離を取れるような支援があったらいいなと思いました。
例えばですが、1週間施設に預かってもらって家族がリフレッシュできるような、完全に離れられる時間を作るのが必要なのではないかと思います。
――吉田さんのお母さんは、お父さんを看取る直前まで介護サービスをあまり利用していなかったのでしょうか。
吉田:恐らく、行政の支援制度は年々よくなっていっていたのだと思いますが、母は調べられていなかったのでサポートを受けられていなかったのだと思います。
後になって、家に散髪に来てもらえたり、要介護者が家で過ごしやすくするリフォームしてもらえるサービスなど、色々なものがあると知りました。
サポートを受けるためには、自分から調べる労力をかけなければいけないのだと思います。
病気の人を支える家族がもっと楽になれたらいいなと思っています。
病気に対する理解が広まることで、看護や介護をしている人達をサポートしようという考えが広がっていくと思うので、まずは病気について知っていただくことが大切なのかなと思っています。
<取材・文/都田ミツコ>
都田ミツコ
ライター、編集者。1982年生まれ。編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。主に子育て、教育、女性のキャリア、などをテーマに企業や専門家、著名人インタビューを行う。「日経xwoman」「女子SPA!」「東洋経済オンライン」などで執筆。