斎藤工の色気は健在!『昼顔』から10年『海に眠るダイヤモンド』での“色気の自家発電力”がすごい
色気だけでなく、生命力の輝きを演じて見せた斎藤工
少なくとも色気の伸びしろを見せつけてくれた。いや、それだけではない。 この10年やってきたいろいろな役や体験が総動員されて、戦後、炭鉱員として生きてきた人物の様々な面を感じさせるいい演技をしていると思う。 リナと子どもを作り、幸福な生活をおくっていた進平が炭鉱事故で取り残され、酸素不足から幻覚を見る。亡くなった栄子の幻に、死の淵(ふち)に足を踏み入れそうになるも、リナと子どものことを思って生の世界に戻ろうとする。そんな生と死の間(はざま)を行き来する姿は見る者の心をざわつかせた。
恋愛パート要員ではなく、斎藤工は、戦争や自然災害で、大切なものを奪われながら、それでも生きていこうとする生命力の輝きを演じて見せたのである。
プロデュースしたドキュメンタリー映画での感受性
映画の公式サイトで斎藤は「約4年前に1日限りのイベントのスタッフとして訪れたとある児童養護施設の子が、帰り際に何とも言えない表情で私達大人を見ていました。『貴方もまた、もう二度と来ない大人なんだね』とでも言わんばかりのその目が忘れられず、時折、個人的に施設にお邪魔していました」と語っていて、それをきっかけに映画が生まれた。 丁寧に時間をかけて何度も足を運んでコミュニケーションをとったうえで撮影を行い、さらに登場している子どもたちのプライバシーにも配慮してほしいという呼びかけも行ったうえで慎重に上映している。
斎藤の「もう二度と来ない」という潔癖なまでの感受性に筆者は興味を覚える。映画や取材の仕事とは常にそういうことの繰り返しである。
それをよく言えば一期一会と捉えたりするものだが、なかには、単なる興味、単なる消費のような関わりも残念ながらあるものだ。それでも出会いのひとつひとつを人生のなかに確かなものとして刻んでいきたいという思いは誰しもきっとあるだろうと思いたい。
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