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「性的に見える」「気持ち悪い」と物議の赤いきつねCMに“確実にある”フェティシズム。CMとしての許容範囲とは

「CMでの表現」としてのあり方

 ここまで大きな話題となったこともあって、CMとしては成功しているという捉え方もできる。しかし、もしも同CMが女性への商品への訴求を目的としているのであれば、当の女性に「こんなふうに頬を赤らめてカップうどんを食べたりしない」「これから食べづらくなってしまった」などと思われてしまっては、元も子もないだろう。  それでも今回のCMは賛否両論というくらいだが、はっきりと批判意見が強く、問題となった過去の事例がある。それは2020年のストッキング・タイツメーカー「アツギ」のTwitterでの広告で、そちらは総勢30人のイラストレーターによる、同社の製品を着た女性をイメージしたイラストの投稿だった。  その中には女性のセクシーさを感じさせるマンガを手がけている方もおり、実際のイラストも防寒着としてのあり方よりも、「男性から見た女性が着ているタイツへのフェティシズム」を多くの人に感じさせてしまったのは事実だ。今回の件と併せて、企業CMのあり方として教訓とすべきものだろう。  その上で、論点のひとつとなるのは「公共性が高く不特定多数が見るCMでの表現」であることだ。女性がおいしい料理を食べる様子を性的に描いた漫画やアニメは多数存在しているが、それは読者および視聴者が選んで楽しむサービスシーンとして許容されていて、もしも不快に思うのであれば触れない選択ができるものだ。  よって、今回のCMと、グルメものの創作物でのセクシーな表現との比較での批判は、そもそも成り立たないのではないか。

アニメでの女性の描き方が一辺倒と捉えられてしまう問題も

映画『君の名は。』(新海誠監督)公式サイトより

映画『君の名は。』(新海誠監督)公式サイトより

 また、今回のCMおよび食事の表現に限らず、イラストやアニメにおける女性の表象が、もっと多様性のあるものとして描かれたり、認識されても良いのではないか、と思うところはある。たとえば国民的な作家となった新海誠監督のアニメ映画でも(特に未成年の)女性への描き方はやり玉にあげられやすく、今回のCMからそれらの作品群を連想した人もいる。  もちろん、新海誠監督の女性の描き方は、それはそれで作り手の信念や愛情がこもったもので、だからこそ作品の魅力になっている部分もあるし、それは今回のCMも同様だろう。  そのことを前提にして、他にも多数のアニメ作家が存在しており、女性の描かれ方も多様なはずなのだが、新海誠監督作品や今回のCMだけで「日本のアニメはだいたいこんなふうに女性を描いているんだよな」とネガティブに思われてしまうのはもったいないことでもあるし、そうした表現で現実の女性への見方にバイアスがかかってしまう危険性も確かにあるだろう。  また、言うまでもないが、CMでイラストやアニメを用いること自体は、幅広い人に訴求する方法のひとつとして、積極的になってもいいことだ。たとえば、同じくアニメで表現されたカップうどんおよびそばのCMでは、日清の「どん兵衛」の「どんぎつね」シリーズがあり、きつねの耳としっぽをつけた少女が登場し、頬を赤らめたりもするが、今回のような大きな騒動には発展せず、寄せられた感想も概ね好評だ。  はたまた、絵柄がジブリアニメ版とはまったく異なる、2024年のマクドナルドの『魔女の宅急便』とのコラボCMも、少女・キキの天真らんまんさや表情がかわいいと大好評を博している。  結論としては、受け手が選んで楽しめる創作物では作り手がやりたいようにフェティシズムに込めてもいいかもしれないが、今回は商品を訴求するという目的および、不特定多数が見て広く受け入れられる必要があるCMとして、少なくない人にとって許容範囲を超えた表現だった、ということだ。  どこまでが良くてどこまでが悪いと単純に線引きすることは難しいが、今回の議論によって、CMのあり方や、ひいてはフィクションにおける女性の描き方について、考えるきっかけになれば、それは意義のあることだろう。 <文/ヒナタカ>
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物議を醸し出した赤いきつねのCM
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