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K-POPファンからスタッフが猛攻撃 “シュシュ女”事件に見る「推し活」のゆがんだ情熱とエンタメ産業の限界とは?

暴走する愛?「推し活」のゆがんだ情熱

推し活の注意点(後編)ここからは推し活のリスクについて考えたいと思います。 推し活という単語とリンクするのが、「ファンダム」という造語です。この“ダム”とはキングダム(王国)の“ダム”に由来し、ファンが集団として形成する一種の王国を意味します。 昨今のアイドルカルチャーは、このファンダムをいかに効率的かつ組織的に形成し、独自の経済圏を築くことができるかの勝負になっていると言っても過言ではありません。 それはポジティブに働けば、アイドルや彼らをマネジメントするプロダクションにとって、安定的かつ大きな収入源となります。企業にとっての資本金が、アイドルにおけるファンダムといえるのです。 しかしながら、これが諸刃の剣であると指摘する声もあります。 日本経済新聞『NIKKEI The Style「文化時評」』(「ファンダムはただの消費者か 推し活に潜む傷と危うさ」2024年7月7日)では、ファンダムがただの消費者ではなく、不特定多数の負の感情が束となって襲いかかる危うさを孕(はら)んでいると分析しています。 <広く、深く浸透する推し活は「自己表現であり、自らのアイデンティティーの隙間を埋めるものになっている」(電通デジタルの天野彬氏)ところにその本質がある。>(上記記事より引用) つまり、ファンダムのエネルギーとは、純粋に推しを応援したいというポジティブな動機よりも、ファンである自分の満たされぬ夢や野望、理想をアイドルやアーティストに投影することで満足するというような、屈折した情熱に支えられているということです。 そうした屈折が色濃いからこそ、ファンダムは推しを過剰に神聖視します。 すると、<「ひとたび対象が『侵された』と感じると、損得を計算する功利的判断を伴わずに激しい反発が生じる」>(関西学院大学神学部 柳沢田実准教授の発言。上記記事より)、大炎上が起こるわけです。

「推し活」の不健全な痛々しさに本人たちは無自覚

推し活における不健康なアイデンティティーの発露は、ボクシング系YouTuberの細川バレンタイン氏もこの一件を扱った動画で指摘していました。その要約は次の通りです。 「自分が本当に満たされて、持っている人間ならば、全力でその対象を応援するし、またそれにインスパイアされて自分自身を高める行動を取るはず。 しかし、推し活はそうではない。このすごい奴を推してる私もすごいという歪んだ等号を結んでしまう。それを不健全と呼ばないで何というのか」という分析です(「まともなあなたはコレどう思う?K-POPイベのスタッフが顔も住所も晒された件」『細川バレンタイン/前向き教室』5月13日投稿動画)。 この指摘も非常に重要です。自分の行動や発想の基準を推しの対象にゆだねてしまう、また多くの場合そのことに気づいていないという二重の恐ろしさがあることを言っています。 そうした歪んだ情熱によって、経済圏が成り立っています。強迫性を帯びた太客が支えるビジネスモデルであるがゆえに、推し活やファンダムには、どこか痛々しさがあるのです。
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エンタメから「客」が消える日
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