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「え、これ本当にあったこと!?」“殺人教師”事件の真相を描く作品に衝撃。43歳俳優の“集大成”

心優しい教師が底なしの絶望へと追いやられる

映画『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』 だが、本作の物語で主体となるのは、タイトルが示すように「殺人教師と呼ばれた男」が、すべてを事実無根の「でっちあげ」だとする主張だ。そして、教師が序盤の母親の証言から一転して、心優しい人物として描かれるという「ギャップ」も含めて驚けるだろう。  その教師は校長から、保護者への「形だけの謝罪」を要求され、その気弱な性格から嫌々ながらも従ってしまう。しかし、事態は収束するどころか、マスコミの一方的な報道で世間が焚き付けられ、教師は誹謗中傷の的になり、停職も余儀なくされ、日常も人生も破壊されるという、底なしの絶望へと追いやられてしまうのだ。  その絶望の先で、教師は劇中で「最大の悪手」と呼ばれるほどの、取り返しのつかない行動にも出てしまう。その痛ましさが伝わるのはもちろん、序盤ではあれほど醜悪に見えていたはずの教師に、心から同情できるようになっているのは、やはり綾野剛の演技力のたまものだ。クズな役から善良な役まで演じ分けてきた、これまでの綾野剛の集大成といってもいい。

強い言葉や映像があっても、客観的な視点や考えを失ってはらない

映画『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』 だが、教師がなんとか見つけ出した弁護士は、母親の主張について「リアリティーに欠けている」と指摘する。観客もまた、一連のシーンで気づくだろう。自分たちもまた、教師への「一方的な怒りと嫌悪」という「バイアス」がかかっていたということを。  例えば、冒頭の凄惨な光景にしても「こんな差別発言を母親の目の前で堂々と言ったり、児童がいる場で平然と暴力を振るえるだろうか」など、「さすがにこんなことは考えづらい」と思えるものでもあるのだから。  その後の法廷劇では、母親の主張に論理的な矛盾や綻(ほころ)びがあることを突きつけていく。その様は「圧倒的な不利を覆す」エンターテインメントとして抜群に面白い以上に、母親が「何がしたくてこんなウソを並べ立てるのか」が不可解で、柴咲コウの「非人間的」ともいえる表情も相まって、心底恐ろしくもなる。  序盤の暴力的な描写ばかりに目を奪われているばかりでは、そうした論理的な矛盾や綻びには気づきにくい。言葉はもちろん映像は、見る人や聞く人の心に強く作用するからこそ、客観的な視点や考えは失ってはならないと再認識できる構造があり、そこにこそ映像化の意義がある。
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誰もが被害者にも加害者にもなりうる
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